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大戦で史跡巡りに興味が出たので実際に行ってきた話

by
pizzahakuro
pizzahakuro
ども、白露です。皆さんカード追加きましたが大戦してますか?
自分は緋の幕末がまさか追加0枚とは思っておらず愕然とした次第です。まあ知盛が強いので
当分はそれで補いますが・・・

今回の記事はGWに旅行行ってきたってお話です。大戦関係ないじゃんって?いやそれが発端で。
というのも英傑大戦が稼働してからというもの、メインで使ってきたのは緋のER、高杉晋作なんですが愛着が出まして。
んで大戦仲間が史跡巡りしているのを見て自分も行きたい!となった次第です。

以下ざっくりと日程。

1日目 宇部→下関 観光箇所:東行庵(高杉晋作墓所)
2日目 下関→萩 観光箇所;毛利藩邸 ゲーセン:アミパラ下関店
3日目 萩 観光箇所:萩城跡・萩市内・松陰神社
4日目 萩→宇部 観光箇所:明倫館 ゲーセン:カッタの湯
5日目 帰路

となりました。以下時系列順におさらいしていきます。

~1日目~
宇部空港に昼過ぎに到着。エヴァのイラストやらなんやらが空港のあちこちにあってなんでだろ?コラボかな?とか思ってましたが、
後から調べると監督の出身が宇部らしく。行くまで知りませんでした。

で、今回の旅のメイン目的は前述のとおり東行庵です。でm、場所なんですが絶妙に各市から遠く、交通の便も悪いので
翌日1日使って観光しようと当初の予定では考えていました。
しかしここで色々今回の旅について色々相談に乗ってくれた萩エキスパートの知人から連絡が。
「今ちょうど東行庵いくから一緒に行かん?」
渡りに船だったので快諾。ということで1日目に行くことになりました。
周りに商業施設がほとんどないバス停で降ろされて不安に思ってる最中エキスパートと合流。そのまま東行庵に向かいます。

以下写真。入口はこんな感じ。天気が微妙ですね。



なんかGWは東行庵の一般公開日だったらしく、中に入らせていただきました。

なんかかっちょいい書が沢山あります。山田君(1/9 柵)や伊藤くん(5/7)の名前が並んでおります。
すごい人たちなんだなぁとぼんやり理解しながら散策。昨年亡くなられた安倍元首相の書もありました。
晋三の晋は晋作の晋からとられたらしいっす。ほへー。

外の墓はこんな感じ。今後の日程にも色々出てくるのですが、墓とか碑とかが山口はそこら中にあってなかなか面白いっすね。
散策しても飽きないなと感じました。

なおエキスパートは観光の合間、本をバリバリと買っていました。こういう現地でしか買えない史料が沢山あるらしく。その量に自分は真顔になったりもしていました。


一通り観光を終え移動。エキスパートと別れ、自分は下関を目指します。この日はここで終わり。夜にフグを食べにいったりしてました。美味しいねぇ。



~2日目~
2日目は7時半くらいの早朝から移動を始めました。テンション高いですね。スケジュールが変わったのでどうしたもんかと思いつつ、
エキスパートが以前教えてくれた史跡マップを用いて興味がある場所をチェックしていきます。
まずは櫻山神社から。物々しい階段を抜けると鎮魂碑がずらりと。
松陰先生は勿論高杉・久坂・河上なんかの名前も並んでいます。この辺からもうちょいカード化してもいいんだぞ?待っております。


続いては移動して毛利藩邸です。ここも一般開放されていて。天気が良い日だったので、とても居心地の良い場所でした。
毛利藩はその地域で萩毛利や長府毛利など呼び方が変わってるほか、家紋もちょっとずつ異なってて判別が出来るそうです。知らなんだ・・・


こちらは輝元公。過去作品では戦国大戦の空弁当(8/7疾駆)でお馴染みですね。
(※秀元でした。空弁当だから秀元ですね。ミス)

その他石庭や藩邸の中など。周りも静かだったので落ち着いてみることが出来ました。良い場所なので下関に用がある方は是非。



その後はせっかくなので下関で英傑大戦を。絆高杉晋作を使って足跡を残してきました。


その後萩へ電車・バスを乗り継いで向かい、着いた頃には夕方でした。
空いていた居酒屋で刺身に舌鼓を打ちながら、翌日のルートを考えたり。
そんな感じで2日目は終了です。この辺から風と雨が出てきてかなり不安な感じになってきております。文字通り暗雲。



~三日目~
三日目、一日萩市内を観て回るという予定ですが、天気は雨模様。しかし起きた直後は降っていなかったため、速攻で萩城跡に行くことを
決断します。もってくれよ!天気!


そんなこんなで萩城跡に到着。石垣跡に登ってみたりしつつ中へ。中には歴代藩主を祀る志都岐山神社?とかもあって荘厳な雰囲気・・・でしたがここで雨がめっちゃ強く!なって少し境内で雨宿りなどをしておりました。

鴨も「こんな天気に何しに来た人間よ」と申しております。


少し雨を防いだ後は萩博物館へ。幕末から明治維新・その中での萩藩の動きと輩出した名士たちのあれこれを知ることができます。
英傑大戦で知った名前がここでもずらりと。だいぶイラストとイメージ違ったりもします。



松陰先生とか高杉晋作は歴史の授業とかで見掛けたことはあったのですが、長井雅樂とかは初見なのでなかなか。


ここで午前中の探索を終え、午後の部として松陰神社に向かいます。萩市は三角州の中に構えているので、道中もこういった感じの風景が見られます。
街路樹も松で風情もあり、それだけでも楽しめる場所でした。


こちらは鳥居?と名物の松陰団子。先生も「食いて空腹をしのぐ見込みあれば、いつでも食うべし」といったことでおなじみの松陰団子です(嘘)
ちなみに味は柚子味噌でなかなか美味でした。

中には松下村塾の復元があったり。ふらっと見て回るだけでも大戦勢なら楽しめるなーと。
(※追記:エキスパートからの情報で、これ復元ではなく当時モノらしいっす。訂正)


その辺で三日目も終わり。夕飯はなんかイカとか海の幸がおいしいお店にいって満足です。あれです、生け簀が店の中にあるやつ。
大戦勢っぽく絆カードと一緒に撮影です。



~4日目~
四日目は天気もそこそこでしたが午前中から明倫館へ。明倫館は藩校と呼ばれる長州藩の学校で、のちの長州藩を引っ張るエリートが
ここから排出されたりしています。博物館的な展示や、その後昭和から現在までの変遷などもみられる場所です。


こんな感じの展示や、桂さんのパネルなどがそこかしこに。なんか松陰先生の松下村塾おみくじみたいのもありました。
自分は入江久一でした。3/5は偉大なので特に不満はありません。


そんなこんなを経て萩を後にして宇部へ。宇部では大戦勢にはおなじみの謎ゲーセン・カッタの湯がございます。
早速行ってみることに。

カッタの湯はゲーセンとバッティングセンター、スーパー銭湯が一体になった施設で大戦勢にとっては神みたいな場所。
大戦ぼんやりやっているとホームにしているプレイヤーから声をかけていただいたりして拘留させていただきました。
同じ高杉を使っているプレイヤーだったので中々に嬉しかったです。
絆カードも交換していただきました。




そんなこんなで足早ですが全日程はこんな感じでした。大戦関連の史跡と英傑大戦、あとご当地のおいしいもの巡りに没頭した旅行となり、
大満足のひと時となりました。
自分はここまでの長期旅行自体が初めてだったのですがその切っ掛けとなったのは英傑大戦であり、また知り合ったプレイヤーの影響だったわけです。
割と大きめの新しい趣味が開拓できた向きもありとても良いものとなりました。

この記事で面白そうだなーと思った方はぜひ萩に、萩じゃなくても推しの武将の縁の地に遊びに行ったりしてみては如何でしょうか。
そこには好きな武将の生きた軌跡と、おいしいご飯と、あとご当地の大戦プレイヤーがいたりします。

それでは皆様の良い大戦ライフを祈願してこの記事を終わります。長い記事を読んでいただいてありがとうございました!また次の記事でお会いしましょう。











 
更新日時:2023/07/04 03:45
(作成日時:2023/07/03 23:35)
カテゴリ
日記
コメント( 3 )
yunatogirls
yunatogirls
2023年7月7日 6時13分

横浜在住としてはまず行かないし調べる気も無いので、萩の情報はありがたいです。
 
>家紋もちょっとずつ違う
 西洋でいう紋章学ですね。貴族必須のお勉強、やりたくないw
 
>萩博物館
 英傑の皆さんの写真が並んでる中、入江さんはイラストなんですね。写真が残っていないからでしょうが、なんか扱いが軽いw

>松下村塾
 勝ち組の建物は残るのですね。
 
>明倫館
 こちらからは誰が輩出されたのでしょうか?
 
> 一体になった施設
 なんとなく昔はボーリング場があったかもしれない?と思いました。

pizzahakuro
pizzahakuro
2023年7月25日 14時47分

>yunatogirlsさん
コメント来てるの今さら気付いた・・・スイマセン。
紋章学、そういうのもあるんですね。貴族の家の要素がちょっとづつ加えられていたりするのを分類したりするのでしょうか。
あと基本的に維新→明治政府という流れでそれこそ近代日本の礎となった人達なので、全体的に予算も潤沢だなーと感じます。
間違いなく勝ち組の史跡という印象でした。
明倫館は藩校なので高杉晋作や井上モンタなど、割と家が裕福な著名人は行っていたっぽいです。

yunatogirls
yunatogirls
2023年7月26日 0時24分

いえいえ。
 
> 貴族の家の要素がちょっとづつ加えられていたりするのを分類
 そんな感じですね。どこの貴族とお茶会を開くか、戦場であの紋章はどこのかを見分けて進退を決める。
 日本も西洋も変わりないかと。
 
> 間違いなく勝ち組の史跡という印象でした。
 残っているだけありがたいですね。
明倫館は藩校なので高杉晋作や井上モンタなど
 なるほど、情報ありがとう。

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