632

歴史話:毘沙門とは

by
王桃盗賊団
文士
文士
王桃盗賊団
どうも、王桃盗賊団の者です🍑



今日は久々歴史話という事で、テーマとなるのはこの人です👇🏻

現在大人気の端っこトコトコ要員こと毘沙門です

裏面の説明文はCoJでの話が軸となっている為、本来の仏教的な話は全く書かれていません❌
皆さんの中にも、もしかしたら謙信が信仰している対象」ぐらいの印象しかないかもしれませんね🥴

今回はこの毘沙門天という仏神を深堀りします






そもそも毘沙門天とは四天王(他に持国天/増長天/広目天)の一角であり、別名を多聞天とも言います🧐
単独で表現される場合は毘沙門天、四天王の一角として表現される場合は多聞天と呼ばれる事が多いですね

主に棍棒と宝塔を持って鎧を身に着け、邪鬼を踏み付けている姿で描かれます💪
毘(=助ける)沙門(=修行する人)の名前からも、人々を守る温情深い神様である事が分かります

また、元々はヒンドゥー教のクベーラという神様です✨
この事から、仏教において『クベーラ』と音が似ている金毘羅と毘沙門天を混同する人もいますが、金毘羅はガンジス川の神が元で全く別種なので注意しましょう⚠️






この毘沙門天を本尊とする寺院は全国各地に存在しますが、中でも特に古いのが鞍馬寺です👍
西暦770年に鑑真の弟子・鑑禎によって草庵を結ばれ、後の西暦796年に藤原伊勢人が千手観音を並べて造ったとされるこの鞍馬寺ですが、まぁ有名なのは牛若丸が一時期身を寄せていたという話ですね

後に義経は頼朝に追われて八戸に身を寄せた際、小田八幡宮に持参していた毘沙門天像を安置したと言います👌
この事から、義経も鞍馬寺の教えに強い影響を受けていたと分かりますね

この鞍馬寺は戦国時代になっても毘沙門天の寺としてのイメージを維持し続け、武田信玄織田信長をはじめ多くの武将が戦勝祈願に訪れたそうです✨
そう、実は謙信だけではなく、その謙信の好敵手でもある信玄もまた毘沙門天を崇めていたんですね🐯



また武神としてのイメージが強い毘沙門天ですが、時代を経ると徐々にイメージは変化していきました🤔
分かりやすいところが七福神です

この七福神は仏教のみならず、神道や道教からも選ばれた現世での利益を得られるメンバーで構成されています😎
毘沙門天も五穀豊穣や家内安全のご利益を期待されて選ばれているわけですね

ここで肝要なのは、毘沙門天が七福神に選ばれる程民衆から深く信仰されていたという点です👍
誰が見ても毘沙門天だと分かる、それくらいに毘沙門天は人気の神様なんですね✨






というわけで毘沙門天の話でした🙇‍♀️

CoJ産の毘沙門も「覚悟せい!」と喧しく、また味方をも撤退させてしまう暴虐ぶりを見せていますが、その本質は優しくて人気者な神様なんですね🤗
皆さんも是非その優しさに触れてみまs…

\ドカーン!/

…やっぱ苦手ですわこやつ🥺

今回は以上‼️
作成日時:2024/06/25 23:43
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 0 )
コメントするにはログインが必要です
シェア