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劉備玄徳とお茶

by
NEO29
NEO29
おはようございます。
neo29です。前回は、さて劉備玄徳(以下:劉備)について語りましたが、今回はこれです。

お茶です。私は日本茶も好きですが、一番好きなのは紅茶でございます。
でもたまには日本茶も良いものでございます。




実は、三国志時代には既にお茶はありました。実際に、書籍や中国のテレビ局CCTVが制作した「三国志演技」でもお茶でもてなすシーンがありました。

ドラマの中で、諸葛亮を軍師として迎えられないか挨拶にいったとき、不在。使いの方が、劉備・関羽・張飛の3人が吹雪の中訪ねてきた時に「寒い中、先生(諸葛亮)がおらず、大変失礼をしました。さあ、お客人にお茶を。」という場面が、ありました。これが三国志の歴史でいう三顧の礼(さんこのれい) 3度訪ねて、3度目でようやく諸葛亮に会う事が出来た。そして結果として軍師として招く行動で最初の1度目でもありました。

日本でもNHKが日本語吹き替えで、放送されてました。

◆セリフは著作権の関連もあるため、私なりにアレンジした言葉にしております◆


劉備は、幼い頃にお母さんと二人で暮らしてました。暮らしは貧しく、お父さんは、劉備が小さい頃に亡くなっておりました。お母さんを支えるために劉備は、敷物や草履といった藁(わら)で作った生活用品を作り、市場で売って家計を助けてました。


「可愛がってくれたお母さんのために、ぜひお茶を飲ませてあげたい。だから一生懸命に売ろう。そして、お茶を販売する商人の船がきたら真っ先に買おう。」

実は、三国志時代のお茶は、現代社会みたいに安く手軽に飲めるものではなかったです。
貴族や国を納める官職といったエリート階級が飲めるものでした。いわゆる「高級品」でした。当時からお茶は、「苦いが上手いし、薬の替わりにもなる」とも言われてもおりました。
まだ西洋の医学も発達してなかった中、流行り病からの回復、あるいは予防の飲みものとしての意味もありました。

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何気なく飲んでいるお茶が、茶葉の栽培、加工技術を得て今日の歴史に残るものになりました。 今では安く、場所によってはスーパーマーケットや高速道路の休憩場で無料で飲める「給茶機」まで出ました。三国志に注視して記載をしましたが、改めて思います。


「英傑大戦」を通して「楽しく遊びながら、歴史を知りたいと思えば学べる。そして何気ないものがありがたみや嬉しさを感じれれる」良きゲームであると改めて実感しました。生活の中でも、歴史を通すとありがたさというのを感じつつあります。
 
更新日時:2023/03/19 19:42
(作成日時:2023/03/19 10:56)
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