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【記事修正】ひな祭りは、平安・戦国時代からあった

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NEO29
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3/4(土)誤字脱字がありましたので、修正をしております。大変失礼致しました。


◆もしかしたら英傑大戦とそれる件もあるかと思います。ただ英傑大戦に登場する「三条夫人」も例にとって、きっとこの様にしてお祝いもしていたと思います。平安・戦国時代というと当時は戦続き・はやり病の時期もあって、お祝いよりも願いかけの意味もあったと思います。◆


こんばんは。引き続き、更新をします。
3月3日は、ひな祭りだけに、簡単ながらですが、歴史をお話しします。

もともとは中国のお祝いでありました。
当時のこの時期では、災いがやってくる季節といわれておりました。
それを払いのけるという儀式で人形をつくり、それを川へ流して
災いから払いのけるという流れで行われておりました。同時にその時期に咲いている”桃の花”には邪気を払いのけ、長生きをするという事もありました。
そして日本へと伝わりました。

当時は、祝い事としてよりも平安時代、貴族たちの遊びとして、流行っていた「人形ながし」という形で広がりました。今みたいに、きらびやかなものを着物を人形にきせずに簡素なもの藁人形や千代紙(おりがみ)の様な服をきさせて川に流しておりました。
ただ、今でも慣習として行われている地域もあります。

もともとは女の子(女性)の健やかな成長を願ってのお祝い事でもありましたが、
恐らくです。平安・戦国時代は戦続きだったり、それこそ、現代では治る病気である肺結核・コレラ・インフルエンザもあった事もあり、長く生きる事も尊いと思われた時代だったと思います。

現に英傑大戦にも登場している弓兵カードの「三条夫人」も女性であり、そして
歴史の人物でも武田信玄を支えた武将の妻であります。子供も沢山生んでおりましたが
実は、三条夫人のことを調べましたら子供が相次いで亡くなくなりました。そして生んだ子供の中には原因不明ですが、生まれつき目が見えずの子供を生み、それを悔やんでいたという事もありました。そして戦続きだけに子供も策略・病で亡くなったりする事が多く、悲しい人生を送っておりました。

そして三条夫人も肺結核で50歳という若さで永眠しました。
今でこそ、ツベルクリン反応の予防接種や薬がある時代でしたが、結核は当時「不治の病」として大変恐れられていた病でありました。

それでもカードの裏面にある様に「太陽の様に明るく、美しい女性であった。皆、お日様のような方」と記載されておりました。だからめげずに、そして女性らしく凛としていたけなげさもありました。

それでもきっと、「どうか、病が治る時代と、平和が訪れ、私とそして子供たちを育てる力がきます様に」とそう願って、祝いをしたと思います。


そして時代が流れるにつれて、江戸時代からは「もっときらびやかに、記念になるものの方がよい」と思い、そこからそこから現代の様にきらびやかなひな人形が出来ていきました。人形作りの職人さんもおりました。

甘酒・ひなあられは、健康ときらびやかな春の訪れを感じさせるお祝いのある食べ物でもあるだけに、まさに女性のお祝いと健康を願ったものでもありました。





 
更新日時:2023/03/12 22:16
(作成日時:2023/03/04 01:00)
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