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1/2プレイ日記 【無二、新しき時代を祝うの巻】

by
凡ゲーマー
凡ゲーマー


「・・・というわけで、あけましておめでとう。無二だよ。
英傑大戦が稼働を始めてからはじめての年越しを迎えたけど、みんなは今年最初の引きはどうだった?投稿主は虹を引けなくて悔しがってたよ。他のゲームの引きはすごかったそうなのにね。

「それじゃ、今回の聞き手を呼ぼうかな。今回は新春記念てことで、特別に二人をお招きしているよ。どうぞ。
「あ、あけましておめでとうございます!松平元康と言います!三河は松平の生まれで、今は今川様の下で人質の将として軍を指揮しています!・・・こんな感じでいいかな?
「よもやこのような場に呼ばれるとはな。我が名、張遼文遠と申す。倭国の正月文化は知らぬ故、無礼な物言いあらば指摘していただきたい。よろしく頼む。
「というわけで今回は松平元康殿と張遼さんに来てもらったよ。今回はよろしくね。
「はい。ようやく場の雰囲気に馴れてきました・・・それにしても、こんな場で三國無双と呼ばれた張遼殿と語らえるとは、この元康、感激の至りです!
「ふむ、そなたは我が武勇を知っておるのか。その歳で大したものだな。
「えぇ、あなた方の武勇伝は遠い日ノ本まで広く伝わっておりますから。でも千年も前の武将がこうして私と話しているというのは、正に夢でも見ているかのようです・・・不思議なものですね。
「そなたからすれば我が存在は千年も昔の存在なのか。私にとっては信じられぬな。先日にも私は曹操様の下で武働きをしていた故。
「時を超えた邂逅っていうのは、この現象だからこそ・・・だね。無二も不思議に思ってるよ。


「さて、今回の【群雄伝を語る】の始まりだよ。
 今回は信長伝を少し進めたから、第六話・稲生の戦いを語っていこうと思うよ。
「おお、信長殿の伝記ですか!信長殿と別れて以来話は全く聞いていませんでしたので、楽しみです!
「織田信長・・・曹操様から聞いた、今世の英傑か。曹操様が似た波長を感じると仰っていたが・・・いかなる人物なのか、私も気になるな。
「稲生の戦いとは、織田信長と彼の弟、織田信勝による織田家家督を争った戦い。信長側には彼の側近、森可成と佐久間信盛が付き、信勝側には織田豪勇の将と誉れ高い柴田勝家や林秀貞が付いて戦ったとされる。
「家督争いとは・・・信長殿と弟君に軋轢があったのですか?
「そもそも信長は信秀の墓に遺灰を投げつけたり、街中で粗雑に振舞ったりととても大名の跡継ぎとは思えない”うつけ”としての行動が目立っていた。
 大名となってからは戦上手ぶりの片鱗が見え、付き従う家臣も増え始めたけど古参の家臣からすれば”うつけ”としての言動は目に余る物だったんだろうね。
「・・・そもそも”うつけ”とはどんな意味なのだ?
「うつけ・・・漢字で書くと空け。要するに頭が空っぽで何も考えていない、馬鹿の別称。あるいは常識外れの行動をする者、という意味も持つ。
 信長は常日頃から奇妙な行動ばかりするから、そう呼ばれていた。
「成程な。しかし、その信長に従う者もいたのだろう?何があって家督の戦にまで発展したのだ。
「事の起こりは1553年。直臣だった平手政秀が信長に黙って自刃。政秀は信長の親代わりもしていたから、周りは政秀が信長に愛想を尽かして自刃したのではないか・・・という噂が流れ始める。
「実際には信長の行動を諫めるために身をもって忠告した、とか実際に信長と不和になって信長を恨みながら自刃した・・・とかいろいろ言われているようだけど、とにかくそれが信長の立ち位置を疑問視させる一因になったんだ。
「政秀殿がなぜそんな事を、と気になってはいましたが・・・そういう事だったんですか。
「ふむ・・・だが、それだけで戦争にはならんだろう。他に決定的な物があったのではないか?
「その通り。折悪くこの時期に義父・斎藤道三が息子・斎藤義龍に裏切られ、敗死する。さらに尾張の要衝だった鳴海城の城主・山口教継が織田を見限り、城ごと今川家についてしまう。その二つはいずれも信長を次の標的にしたんだ。
「・・・・・・・
「情勢が悪化すると当然、今の立場を憂う者が現れる。特に”うつけ”と呼ばれる若殿がこの困難を果たして乗り越えられるのか・・・
そういった経緯で信長を危険視した柴田勝家と林秀貞が信勝を担ぎ、謀叛を起こしたんだ。これがお家騒動の発端。
「成程よ。確かに無能者に軍を任せるわけにもいかぬ。ならばいっそ彼奴より聡明な物を主君として仰ぎ、この困難を乗り越える・・・実に理にかなった選択よの。
「ですが、信長殿に限ってそれはありえません!それから信長殿はどうしたのですか?
「信勝方の動きを察知した信長は、すぐに名塚(現在の名古屋市西区付近)に砦を築き迎撃に当たった。これが今回の戦いの概要。
この結果はお分かりの通り、信長軍の圧勝。信勝軍は信長軍の三倍半はいたんだけど、信長自身が前線に出て味方を鼓舞したり、主要武将の一人だった林通具を討ち取って相手の士気を下げたりしたのが勝因だと言われている。
「総大将自らが前線に・・・!やはり信長殿はすごいお方だ!
「曹操様も若い頃はよく前線に出ていたらしい。うむ、戦い方まで曹操様と同じような男よ。
「この敗北で信勝は那古野城まで敗走。表立った家臣も全て信長側に付き、戦いは一応の収束を見た。
「敗れた信勝はどうなったのだ?そのまま処刑でもされたか。
「その後の信勝は信長自身の決断と母・土田御門の助命嘆願もあり、清州城で信長と和解。でも・・・その後どうなったかは次回に話すよ。
「嫌な予感しかしませんが・・・
「言葉を濁すという事は、そういう事なのだろう。気になる所だがな。
「柴田勝家はこの戦の後、信長という人物を見直しそれから織田の重鎮として各方面の戦で活躍する事になる。彼もまた、織田の中で数奇な人生を辿ってゆく事になるよ。


「それじゃ、次は新年という事でこんなコーナー。【英傑大戦問答】をやろうと思うよ。
このコーナーは今回の聞き手にまつわる問題を出題するよ。問題は全部で十問。簡単なものから熟練者向けの問題もあるから、全問正解してみてね。
それじゃ、よーいどん。

Q1:松平元康は、後の誰?
①:織田信長 ②:徳川家康 ③:今川義元

Q2:張遼が愛用していたとされる武器は?
①:薙刀 ②:剣 ③:戟

Q3:松平元康の最初の正室は?
①:築山殿 ②:小松姫 ③:西郷局

Q4:張遼と同じ出身地の武将は?
①:馬超 ②:呂布 ③:司馬懿

Q5:松平元康の生まれた地は、現在のどの県?
①:東京 ②:静岡 ③:愛知

Q6:張遼の武勇から付けられた呼び名は?
①:文来来 ②:遼来来 ③:遠来来

Q7:松平元康の特技は?
①:昂揚 ②:気合 ③:防柵 ④:復活 ⑤:技巧

Q8:張遼の計略「合肥の剛鬼」、武力と移動速度と突撃ダメージが上がるのは何が条件?
①:味方3部隊以上生存 ②:味方4部隊以上生存 ③:特に条件はない

Q9:松平元康の計略「忍従の時」、効果時間は?
①:19.0C ②:20.0C ③:21.0C

Q10:張遼のカードナンバーは?
①:緋021 ②:緋011 ③:緋051

「分かったかな?答えは各自調べてみてね。

「というわけで今回はここまで。最後にお二人、何かよろしく。
「はい!今回はこのような場にお招きいただき、非常に感謝しております!某はまだまだ半人前ですが、いつか必ず天下に轟く大名となってみせます故、これからも精進していこうと思っております!
「・・・若いというのはいいな。活気に溢れ、未来がある。私もあの頃を思い出し、さらに精進せねば。我が刃は曹操様の為に在り・・・!
「お二人、今回はどうもありがとう。さて、新年を迎えてこれからさらに盛り上がる英傑大戦だけど、無二も鉄砲撃ちとして頑張らなくちゃね。
みんなも健康に気を付けて、良い大戦生活を満喫してね。今年もよろしく。
じゃあね。ばいばい。
 
作成日時:2023/01/03 14:33
コメント( 2 )
楊狐
文士
文士
楊狐
2023年1月4日 9時52分

お正月ということでゲスト二人は豪華ですな♪

凡ゲーマー
凡ゲーマー
2023年1月4日 15時23分

>>> 楊狐さん
いつもコメントありがとうございます。
新年一発目なので張り切ってみましたw

楊狐
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