「英傑大戦、八月十九日の章の時間だよ。
長らく投稿が開いてごめんね。話し手を担当する無二だよ。
バージョン1.2が稼働したね。投稿主も新しい武将の追加を聞いてようやくプレイできたって言ってたよ。
基本的にプレイできたら更新するってやり方でやってるから、今回みたいに更新が遅れる事も多いけど、許して…って投稿主が言ってた。
そんな訳だから、今後ともよろしくね。
「それじゃ、今回の聞き手を呼ぼうか。
今回の話し手は、武田二十四将の一人、山県昌景殿だよ。
「うおおおおお!!血が燃え滾るぜぇぇ!!!
つーわけでお前ら!俺こそが武田の猛将、山県昌景だ!!よろしく頼むぜぇぇ!!!
「・・・・・・(うるさっ)
「しかし・・・三方ヶ原で御屋形様と共に戦ってたと思えば、いつの間にか関ケ原なんて辺鄙な地で戦う事になって、
しかもよくわからねぇ軍団とまで戦う羽目になっちまった!
まぁ俺からすりゃああんな豪傑と戦えるなんて夢のような事だから別にいいがな!
「・・・・山県殿はどんな立ち位置で戦ってるの?
「お!そうだな、俺はいわば武田の切り込み隊長よ!
御屋形様や馬場のアニキが気持ちよく戦えるようにするために、俺が自慢の赤備え隊で切り込む!
それが昔からの俺のやり方であり、武田の必勝法だ!
「・・・少し暑苦しいけど、仲間の事を大事に思ってるんだね。
「さて、「群雄伝を語る」の時間がやってきたよ。今回は新たに追加された上杉謙信の章を順に紹介していこうと思うよ。
今回は1話の「小さな戦場」だね。この物語では、謙信殿がまだ虎千代と呼ばれていた頃のある逸話が描かれているんだ。
「よりにもよって上杉謙信の話かよ!俺が聞くもんじゃねぇだろ!
「聞き手は投稿主が決めるものだから、文句いっちゃダメ。それに信玄公はずっと謙信殿を好敵手と認めてたでしょ?
「・・・そりゃ・・・そうだが・・・
「虎千代は当時、越後守護代だった長尾為景殿の息子として生まれた。その頃の越後は戦乱が最も激しい地区の一つだったんだ。
「当時は上杉じゃなく”長尾”だったんだよな。つまり奴の本名は”長尾虎千代”ってわけだ。
「そうだね。そしてそんな中で虎千代は早くも人生の分岐点に入る事になる。
1536年、一通りの抗争が終わった中で、父・為景殿が突如隠居する。
後継者に指名されたのは、虎千代の兄である長尾晴景殿だったんだ。
「謙信・・・いや、虎千代じゃねぇのか。
「当時の虎千代は為景殿に冷遇されていたという話があるらしい。まぁそれ以前に兄が家督を継ぐのは当たり前なんだけど。
ともかく、その事がきっかけで、虎千代は仏門に入る事になるんだ。
「あぁ、謙信は戦中でも白頭巾を被ってたしな。しかし一度仏さんに仕えたら武将に復帰するってのは相当難しい事だと思うんだがなぁ。
「それが今後の肝になるね。虎千代は林泉寺という越後城下の寺に入門し、そこの住職である益翁宗謙という人物に出会うんだ。
今回の戦はその宗謙と虎千代による、模型を使った模擬戦という形になるよ。
「謙信の奴、この頃から戦の事を考えてたのか・・・俺ですら元服してから戦の事を考えられるようになったんだぜ?
末恐ろしいよ本当に・・・
「宗謙は虎千代と模擬戦で戦い、虎千代の戦に対する考えを見ようと思っていたんだ。
結果は予想以上。とても当時六歳とは思えない戦の動かし方で虎千代は完勝を治める事になるよ。
「ほんとかよ、全く・・・ようするにこの頃から”軍神”の片鱗が見えてたって事なんだろ?
「そうだね。虎千代はこの模擬戦を何度も繰り返し、戦の基礎を学んでいたとされているよ。
そしてその六年後、父・為景殿が病死する。その時の葬儀の際、虎千代は甲冑と剣を携えて父の棺を担いでいったらしいよ。
その後、兄・晴景殿が越後で影響力を失くし、虎千代はようやく表舞台に立つ事になるんだ。
「それじゃ、次は新しく加入した武将の紹介。
新しい武将が多く入るかと思ったけど、前のバージョンと闇鍋形式で排出されるみたいだね。
今回の聞き手の山県殿に加えて、杉文さんに近藤長次郎といった人たちが新たに加わったみたい。
投稿主は地味に上杉憲政が戦国大戦の頃のキャラしてて良かったって言ってたよ。
「新しい奴らはより影響力の高い奴らが多いって話だからな!俺としても戦ってみたいぜ!
「今回はここまで。後書きになるけど、投稿が遅れて本当にごめんね。
これからもプレイした日に全国大戦の結果を書くか、群雄伝の話を書くと思うから気長に待っててね。
あと投稿主は基本的に撮影とかしない派だけど、何らかの形で思いついたら新コーナーもやるって言ってたから
そちらもお楽しみに。
それじゃ、ばいばい。