長州男児の藩紹介、これよりお見せしよう!!
はい、というわけで甘皇后は俺の姉、猫山夢之介こと不肖駄猫です。
前回は気づいたら
どんどんでの
お昼ごはんだけで一つの記事になってしまってた訳ですが…
予定(タイトル)は未定であり決定(本文)ではないというわけですね!!
…すいません、猛省いたしますorz
さて、というわけで、反省もしたので前回の続き、
明倫館学舎へ足を延ばしましょう!
どんどんから歩くことしばし
なんとも格好良い
消防署の前を通って到着しますは
長州藩校、明倫館!
いやぁ…なんというか…趣があると言いますか…うん、
イイ!!
長州藩5代藩主、毛利吉元が創建した明倫館ですが、全国300余の藩校の中でも
12番目に造られたということからも長州藩の
人材育成にかける情念が感じられるというものです。
なお、
水戸藩の
生涯学問を標榜する弘道館、
岡山藩の
日本最古の庶民学校閑谷学校と合わせて
日本三大学府の一つと称されていました。
ちなみにもともとの明倫館はここではなく、敷地面積も940坪余とあまり大きい物ではありませんでした。
それを第13代藩主
毛利敬親が現在の場所へ移転、
敷地面積15,184坪(建物総坪数11,328坪、練兵場3,020坪)という広大な藩校へと改築したのです。
なお、もともとは
朱子学を下敷きにしていたはずですが、時世に伴ってか、
反朱子学の蔵書も大量に保有していました。
そして!なんと!!当時から
書生以外にまでも蔵書の貸し出しが認められていたという素敵藩校です。
折角ですから一緒に旅をしている感覚を味わうために説明看板ペタリ。
ほぉら、隣には
化け猫(駄猫)がおるぞぉ?w
あ、やめて!石投げないで!!
こほん…
はい、それでは藩校に入りましょう。
入ってすぐ右手に見えるは
有備館です。
江戸明治の長州藩士が日々練武していた道場ですね。
それではここも開設パネルをペタリ♪
ちょっと小さくて見にくいという人のために
この建物の北半分は
板間39畳を剣術場、南半分は
土間54畳を槍術場として訓練に勤しんでいたわけです。
ちなみにこの建物、藩士の練武場としての他、他国からの剣槍術の修行者との試合場
「他国修行者引請剣槍術場」という格好いい名前もついてました。
まぁ藩校の武錬を背負って対戦するわけですからプレッシャーもやばかったでしょうねぇ…
そこから奥へ進むと学舎になります。
ですが!
今回も!!
記事が!!!
長くなっている!!!!
というわけで、学舎の紹介はまた次回の記事で…
ほんと、萩だけでどれだけ記事書いてるのよって感じですねw
ちなみ萩の他は下関戦争の砲台跡や騎兵隊陣屋跡、山口市の色々、伊藤博文生誕地などなど、とてもじゃない、書いてらんないだけあります。
このシリーズ終わるのかな?ww
それではまた、舞い舞う柵を挟んで。