1399

【長州巡り】長州伝を歩く~その2~【松陰神社】

by
猫山夢之助@駄猫
猫山夢之助@駄猫
長州男児の藩紹介、これよりお見せしよう!!

はい、というわけで甘皇后は俺の姉、猫山夢之介こと不肖駄猫です。
世はまさにキングダムコラボ!
しかし猫はクールに長州紹介を続けるぜ!!

前回は勿体付けて始めたくせに萩の入り口で終わったわけですが、今回は時間もたっぷりあります!
早速吉田松陰先生を祀る松陰神社の紹介と行きましょう!


はい、まずはどーん!!
長州伝をしてると何度も見ることになる松下村塾!
確かこんなアングルじゃなかったっけ?記憶がね、飛ぶんですよ、最近…or2
ちなみに看板、異字体で松下村塾と書いてあります。決して松六部塾じゃないですよ?(笑)

ちなみにここ、元々吉田松陰の叔父(吉田松陰を厳しく教育した人)の玉木文之進さんがやっていた私塾でした。
で、時は流れて嘉永7年(1854年)、吉田松陰が黒船に乗り込み

「アメリカに連れてけやメリケーン!」
「何言っとんじゃこのサムラーイ!」

とやった後しょんぼりと下田奉行所に自首、死刑の声があったところを国許蟄居その後実家預かりとなったのですが、その禁固中になぜか講義をやっておりました(自由だな)
そしたらその講義が素晴らしいという事で安政4年(1857年)、叔父さんは当時明倫館塾頭になっていた吉田松陰(本当に自由だな!?)へ塾を譲渡、正式に吉田松陰の松下村塾として開校したわけです。

ちなみに吉田松陰亡き後は一旦閉塾したものの、慶応2年(1866年)に復活、明治4年(1871年)に叔父さんの玉木文之進が再び塾頭に。
しかしその玉木文之進も明治9年(1876年)、前原一誠が起こした萩の乱に松下村塾門弟が多数いたという事から責任を感じて切腹…休塾。明治13年(1880年)に吉田松陰の兄である杉民治が塾頭となって再開するも明治25年(1892年)、年老いたことを理由に杉民治が引退、閉塾してここに松下村塾の歴史は幕を閉じたのでした。

なんていうか、塾自体が波乱万丈な気がしますね。
というか死刑を減じて国許蟄居とか実家預かりの割に結構自由な気がするんですけど…そんなもんなんですかね?w

というわけで、その松田松陰が実家預かりで幽閉されていたおうちです。

このおうちの中、3畳半の部屋で幽閉、そしてすることないので講義していたそうです。
その講義が素晴らしいという事で講義を聴く人が増えなぜか藩校明倫館塾頭、そして松下村塾塾頭としてたわけです。

…ほんと自由だな長州藩!?

まぁ、その気風を受け継いで、山口生まれの山口育ちな私相当自由ですけどねw
初心者キャンペーンしてる中、全く関係ない記事書いてるし(初心者キャンペーン終わったら初心者向け記事書くぞこいつ!)

では幽閉されてた家の中を…






何か結構いい家ですよね。
赤い引き戸の部屋が幽閉3畳半部屋みたいですが、襖開けたらだだっぴろやん?
襖一杯の家って憧れませんか?

そして松陰神社駆け足観光の最後は松陰神社そのものです!



ちょっと人が途切れず、時間も押してたのでごめんなさいパチリ。
ちなみに松陰神社は勿論と言うか何と言うか、学問の神様です。
受験資格試験の控えてる方、一回お参り如何ですか?

さてさて、第2回もそろそろお時間です。
次回は休憩お昼ご飯、少し足を延ばして歴史の薫る場所へと足を踏み込んでいきたいと思います。

それではまた、舞い舞う柵を挟んで。
作成日時:2022/04/14 20:55
コメント( 0 )
コメントするにはログインが必要です
シェア