夏休み
(1週間ぶり2回目)なのでちょっと遠出してきました
一週間ぶり…ということは…
そうですね、先週は台風で動けませんでしたね
もちろん、会社から
「台風だったからもう一回夏休みとっていいよ」と言われることなんてなく
当初は泊まりで行こうと思っていた場所をショートカットしつつ日帰りで廻ってみようといったところです。
まずは下関駅にJRで移動
ホームから見える伊崎厳島神社は今回は行けませんでした
平家が源氏に追われているときに厳島神社を祀ったものとされています。
吉田松陰が参拝した記録もあるそうです
下関市街地の大歳神社です
下関は平家のホームと言える場所なので平家関係のエピソードが多いのですが、ここは源義経が戦勝祈願した場所だそうです
また、高杉晋作が奇兵隊を旗揚げした地でもあり、軍旗が奉納されているそうです
百二十三段の階段を上った先には、ちょっと独特な空間が広がる
境内の脇には「七卿落ち」の画碑があります(一番右にいるのが宮部鼎蔵(宮部鼎三ともいう)
そして近くの店で昼食を取ってから、海峡の反対側にある門司へ
門司と門司港レトロって全然違う場所なんやね
レトロな建物と跳ね橋と、30階建てのタワマンが同居する独特の風景。
ここから門司城へ向かいます。
明石与次兵衛供養塔です
本人は大戦シリーズに登場していませんが、豊臣秀吉を乗せた船が座礁した際の船奉行だそうです
事故の責任を取って切腹した後、入国した細川忠興が供養のために建てたそうです
今日の関門海峡
風がほとんどないのに波は立ってるし、どこかしら渦巻いてるし、海の色がところどころおかしいし…
素人が見てもわかるような海の難所だし、そりゃ座礁もするわね
門司城は平知盛が築城を命じた城であり、大友氏や毛利氏、秋月氏といった戦国武将が争った場所でもあります
遺構と呼べるものはないですね
大野城の年代ですら、礎石ぐらいは残っているのに…
門司城までは約170mの山をぐるぐる回りながら登ったので本当に疲れた…
そこから小倉に移動。
小倉と言えば小倉城ですね
細川忠興の居城なのですが、もとは毛利氏が築いた城というのは後から知りました
堀にはなんとカワセミの姿が…ここ百万都市のど真ん中では??
別角度から撮影
入り口に車が入れるほど歩きやすい場所なのですが、ちょっとカジュアルすぎる感じですかね
当時の遺構も堀と石垣ぐらいで、他の城のように大手門とか櫓も当時のものはないようです
もしかしたら小倉城のこの状況を見て、福岡城も幻の天守再建とか進めてるんでしょうね?
とにかく天守が造られればランドマークとしての役目を十二分に果たしそう
(そして博多にもっと外国人が増えそう…)
何故か小倉城に宮本武蔵と佐々木小次郎の像が。
今後どこかのタイミングで絶対に実装されるやーつ
さすがに疲れたので、次回英傑ゆかりの地めぐりは、もっと時間に余裕をもって廻ろう…
以前は門司港レトロとかによく行きましたが、当時は源平合戦に興味もなく、門司城跡の存在も知りませんでした。
今なら違った楽しみ方ができそうなので、また行ってみたいです。
門司城は本当に、頂上には何もないですからねー
展望台にある絵巻を見るくらいでいいと思います(頂上まで行くのしんどいし
> 下関は平家のホームと言える場所なので平家関係のエピソードが多いのですが、ここは源義経が戦勝祈願した場所だそうです
まさか平家がホームで戦勝祈願しなかったはずは無いでしょう。
……負け組の戦勝祈願は無かった事にされた感じですねw
> 素人が見てもわかるような海の難所だし、そりゃ座礁もするわね
若かりし秀吉ならお咎めなしでしょうが、この頃はもう許せないお方だったのでしょうか。
こんな事で切腹とはさぞ明石ヤジロベー殿無念かと。
> 遺構と呼べるものはないですね
>大野城の年代ですら、礎石ぐらいは残っているのに…
便利な所のお城はリサイクルで色々持っていかれる事が多いですね。
大野城は辺鄙な所の城でしたっけ。持っていくには不便な場所だったのでは?w
> 門司城までは約170mの山をぐるぐる回りながら登ったので本当に疲れた…
色々残っていれば城攻め気分でしょうが、無いのでは普通の山登り? おつかれw
> 堀にはなんとカワセミの姿が…ここ百万都市のど真ん中では??
小魚さえいれば、都会でもわりといますね。
座礁の責任は取らないといけないでしょうが、切腹とは厳しいですね…
福岡に居ると細川忠興のエピソードにちょいちょい遭遇するのですが、戦国DQN四天王というよりは人情家の一面が良く出ていますね
同情というか憐れみというか…