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漢王劉邦…ではなくその子劉肥のおはなし

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らと
らと
劉肥という名前を見てもわからない君主様は多いと思います
どのくらいマイナーかというと中国歴史系のバイブル
横山光輝先生の「史記」「項羽と劉邦」にすら出てこないくらいマイナーです

実は漢王劉邦には呂雉を迎える前に既に嫁がいたんですね
その女性との間に授かった長男が後の斉王劉肥となります
はい 項羽滅亡後に韓信が三斉王→楚王に左遷…じゃない栄転した後釜です



庶子なので長男ではあっても太子の選択肢にはそもそも上がらなかったのですが
継母がアレなので生涯生きた心地はしなかったのではないでしょうか

例)
劉邦が没し弟である劉盈(呂雉の子)が帝位についた二年後
劉肥は長安へ参内 劉盈に酒席に招かれます
劉盈「表向きは皇帝と臣下ですが今は身内しかいません どうぞ兄上が上座へ」
劉肥(盈!お前が厚意でやってるのはわかるがやめてくれ!義母上が殺意籠った目で見てる!)

劉肥はなんとか呂雉の魔の手を逃れ天寿を全うしたようです
ですが約40年後に起こる大反乱・呉楚七国の乱において
反乱に加担した七人の王のうち実に四人が彼の息子でした
ままならないものですね国家運営というものは

曹丕「わかるよ」(皇族を冷遇しすぎて司馬の簒奪に抵抗できなかった)
司馬炎「本当にな」(それを踏まえて皇族優遇したら皇族同士で大内乱が起きた)
作成日時:2024/05/11 20:47
カテゴリ
雑談・雑感
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