面白い投稿を見つけたのですが、人様の投稿に対するコメントでダラダラ書けないので自分の投稿で書く事にしました。
表題の通り「鄒氏は傾国の美女か否か」についてつらつらと書いていきますね。
まず鄒氏の人物像について。
張済の妻にして、張繍の義理の叔母にあたります。
董卓が討たれ、董承達が献帝を庇護するようになり、張済は一気に勢いを失ってしまいます。そして略奪を行う中で戦死したので甥の張繍が面倒を見るようになった、というのが一般に知られている話ですね。
ここからは歴史をなぞります。
196年に献帝を奉戴するようになった曹操はその威光を笠に討伐という名の侵略を始めます。
少し悪く言い過ぎに感じるかもしれませんが、やっている事は董卓と変わらないので問題ないと思います。帝を戴き、自身の寵臣で朝廷を運営し、違うのは名士からの支持があった事だけです。まぁ、これが三国志時代に於いては大切な事なのですが。
話を戻すと、そんな曹操は張繍も標的に含める事になります。董卓の残党ですから割と真面目に討伐の意味合いもあったかもしれません。そして舞台は197年の宛城へ。
この時は賈詡の献策で反抗からの降伏という経緯を辿りますが、賈詡の頭の中では鄒氏を駒として使う算段が既にあったと思います。思惑通り鄒氏に夢中になる曹操、この先は皆さんが知る内容ですね。その後の鄒氏がどうなったのか、というのも諸説あるのですが別の機会に。
董卓と曹操、いずれも献帝を自らの政治の道具として利用した者であり、漢朝を形骸化させた悪役です。実際の国家運営を執り行った人物をあと一歩まで追い詰め、正統な後継者まで仕留めた仕事ぶりは“傾国の美女”と呼んで差し支えないのではないでしょうか?
私はそう思っています。
最後に一つだけ。
「それでも大戦シリーズの傾国は貂蝉やろ」
貂蝉も鄒氏も国を傾けたというよりは傾いた向きとは逆に押した感じかもしれませんね
ただ、貂蝉はそれを義父の王允のため意志を持って行ってる所が違いだと思います
>超♂兄貴さん
逆ベクトルで戻そうとした、言い得て妙ですね。
ただ、貂蝉の孝行心は演義の作り話感が否めません。
「それっぽい女は居たかも」を極限まで話膨らましたのが貂蝉、というのが通説です。義父の為というのも儒教でいう模範的行動に当てはまり過ぎて眉唾モノです。
とはいえ、鄒氏も名前は正史に出てきません。
早い話がどんぐりの背比べなんですよ笑
この辺りの妄想も含めて話をするのが歴史の醍醐味だと思うので、コメントしてくれた事がとても嬉しいです(*´ω`*)
なんとなく引っ掛かったので長文失礼します。
曹操が悪役ですか、もしかして劉備贔屓ですか。董卓と同列は言いすぎだと思いますよ。酒宴の席で裏切り者を料理して出したとか、鷹狩りのときに、帝を差し置いて自分が目立った奴と同じはおかしいですよね?董卓の政治と曹操の政治は比べる価値もないぐらい、後者の方が優秀で周りからの支持も段違いだと思いますが。
まぁ、どの作品を読んだかで大分意見も分かれますから難しいところですね
>京さん
コメントありがとうございます!!
実は三英傑で1番好きなのが曹操なんですが…笑
政治は比べるまでもなく曹操が優秀、当然の話です。
ただ、なぜそうなったのかを考える上で「名士階級とは?」という視点が非常に大切でして。
董卓や公孫瓚は名士の離反で崩壊しました、袁紹は名士偏重が過ぎて自滅しました。その点、曹操は名士階級の取り扱いに長けていたので勢力を拡大できました。
ですが、献帝を傀儡にした時点で漢朝を正統とする者からは悪役で間違いないのです。名実共に漢朝を倒したのは曹丕の代ですが、実質的な簒奪から目を逸らしてはいけません。好きならばこそ、短所もひっくるめて愛せなければなりません。なので、あえて「悪者」と書きました。
ちなみに、三国志は中国古典に触れて当時の道徳観なども交えるよく分かると思います。特に孫子、老子、韓非子辺りはオススメですよ!
悪役かどうかは勝者が決めるってのもあって一概には言えないと思うんですよね、そもそも董卓が宮中に上がった時(というか黄巾の乱起きた辺り)には既に漢王朝は詰んでましたし
最後の一言には同意しかできない
三国志演義の貂蝉は空想上の人物だとは思いますが、なぜか中国四大美女に入ってたりするので傾国の美女の資格はあるのかも?
>Mr.GBさん
確かにそうですね、歴史は勝者が作るので…
最後の一言に同意してもらえるだけで十分です笑
>超♂兄貴さん
もちろん貂蝉は傾国の美女です。
なので「どんぐりの背比べ」と表現しました。
実在したかさえ怪しいのに四大美女に入ってるのは不思議ですよね笑