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ぴよ幕末史跡旅in彦根+江戸~井伊直弼関連~

by
栗花落
栗花落
今回は長州藩ではないです。ひこにゃん藩です。
かわいいよひこにゃん……。

現状出ているひこにゃん藩……彦根藩は井伊直弼だけなので、実質井伊大老特集ですね。
生い立ちとかは写真を追いながらお話していきます。

彦根藩は徳川譜代大名の井伊家が藩主を務めた藩、初代藩主は井伊直政です。
井伊直政は戦国大戦にはいましたが、英傑大戦ではまだ出てないですね。

関ケ原後、直政が佐和山城を拝領して佐和山藩を立藩しましたが、その後直孝の代にそこより琵琶湖により近い位置に彦根城を立て彦根藩を立藩しました。
コロコロ藩主の家が変わる土地とそうでない土地があるのですが、彦根藩も長州藩と同じで幕末まで藩主を務めた家は変わっていません。


まずは彦根藩の中心地彦根城へ!



ひこにゃんマンホールかわいい。めっちゃくちゃかわいい。そのステップ最高にかわいい。
この地はひこにゃんが一々かわいい。英傑くん、ひこにゃんとコラボしてひこにゃんカード刷らせて欲しい。


『彦根城/滋賀県彦根市』

入り口。
彦根城って石垣も良いんですよね。お濠も全体的に格好良い。全てが良い城。





ここ!!此処最高!!さいこう!!天秤櫓!!
写真の廊下橋は戦があった折には落とす予定になっている橋だったそう。敵は石垣を登れ!ということですね。


此処も最高!!太鼓門及び続櫓に続く緩やかな坂!いやー良いですね、こういう坂!!
大好きです!

ほら!彦根城天守だよ!!井伊大老とひこにゃんのツーショ。
彦根城は当時の建物がそのまま残っている現存天守で、日本に5個ある国宝となっている天守の一つです。

私城はよくわかんないからあんまり書けることがないです……。

天守内に直弼いた。通る人が「井伊直弼だって」って言いながら写真を撮って去っていく井伊直弼です。
なんかわかんないけど撮ってく人もいて観光地っぽくて最高ですね。

空が凄かった。夏の日の曇って綺麗ですよね。

城の麓にある彦根城博物館には彦根の歴史や井伊家の宝物が展示されています。
此処は江戸時代の彦根藩の政庁であった表御殿を復元したものです。
藩主が日常生活をいとなんだ奥向きの御座の間や茶室・庭園も復元されており、雰囲気のある屋敷を堪能できます。


『彦根城博物館/滋賀県彦根市』
直弼は茶の湯を嗜んでおり、奥向きにあったこの茶室で度々茶を立てていたそうです。
大戦の直弼のお茶姿をちょっと見たい……。

寝るところ、いろんな部屋が見渡せるし風通りも良くてきっと快適。

お庭も綺麗です。
この庭の池は発掘調査時に分かった規模に準拠し、資料である古絵図から推測できる大きさで庭石、築山を復元したとの事。
直弼に思いをはせるにはとても良い場所です。お茶室イイですね。



『楽々園/滋賀県彦根市』
これは彦根城内にある楽々園(欅御殿)です。
井伊直弼は1815年11月29日に彦根藩主井伊直中の十四男として、彦根城二の丸にあるこの欅御殿で生まれました。

『玄宮園/滋賀県彦根市』
目の前にある庭園は玄宮園と呼ばれています。彦根城天守が見えてとてもいい雰囲気です!


『井伊大老銅像/滋賀県彦根市』
城内には井伊直弼の像がありますよ。駅前には井伊直政の像があります。流石井伊家のお膝元ですね。

直弼の歌碑もあります。

「あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな」

と書いてあります。これは下で紹介する清涼寺に納めた、直弼が描かせた自画像に書かれている自詠の歌です。



『埋木舎/滋賀県彦根市』

十四番目という事で家督を継ぐことはないと考えた直弼は、16歳のときに父が亡くなってからは埋木舎(うもれぎのや)と名付けた三の丸の屋敷に移り住み17歳から32歳までの15年間を国学・兵学等の勉強、茶道、能や狂言の謡曲作りなど、文化的な日々を過ごしました。
井伊家の嫡子だった者が亡くなり、直弼が家督を継ぐことに決まり35歳で彦根藩主となりました。

今は病院での医療も発展し、薬も沢山開発されて長生き出来る人が多くなりました。
しかしこの頃は病気で亡くなる者も多く、嫡子がいなければ後継ぎがおらず家が絶えてしまう為、そんな状態にならないように子供が多くいました。
なので環境次第で十四男でも藩主になれるという事ですね!

そして1858年、43歳のときに大老に就任します。
この頃は丁度アメリカからタウンゼント・ハリスという貿易交渉の使者が下田に来ていた時期でした。
当時の海外交渉は老中であった堀田正睦が担当しており、海外との条約締結の勅許を天皇から得ようと奔走していました。
しかし当時の天皇は大の外国嫌いで結局この時は勅許は得られず、直弼が大老になると堀田は任を下ろされ、代わりに井伊直弼が海外交渉に臨みました。
結果直弼は天皇の勅許を得ないまま日米修好通商条約を締結し、日本は諸外国との国交を開始しました。


『江戸城桜田門/東京都千代田区』

天皇の意志を無視した直弼の独断の条約締結、他直弼が下した政治判断への不満、様々な要素が重なり直弼を反対する者は多くいました。
その人たちを弾圧したのが安政の大獄です。松陰先生が処刑されたアレですね……。
これらの事件に対しての不満要素が爆発し、1860年3月24日井伊直弼は水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名により江戸城桜田門で暗殺されました。

個人的になんとなく彦根にいる時の文化人の雰囲気と藩主になり幕府に入ってからの雰囲気が違う人のような感じがあります。あくまで個人的主観ですけど。

直弼の墓所は東京都世田谷区にある豪徳寺にあります。

『豪徳寺/東京都世田谷区』

松陰神社から歩いて10分くらいのところにあるので是非一緒に出掛けてみて下さい。
このお寺、招き猫がいっぱい置いてあるので面白いですよ。

彦根に戻りまして、此方は天寧寺。
書院の庭には直弼好みの借景石州流庭園があるそうですが、今は書院は老朽化の為観覧不可なので見れません……。

『天寧寺/滋賀県彦根市』
此処には桜田門外の変で亡くなった直弼の血染めの遺品が運び込まれ埋められています。
供養塔と直弼の参謀であった長野主膳の墓所もあります。

 彦根城から離れた佐和山城の麓には清凉寺という井伊家の菩提寺があります。

『清凉寺/滋賀県彦根市』
ここは直弼が禅と学問の手ほどきを受けていたお寺です。
直弼は万一の時に備え、生前に此処で戒名を受けて位牌を作って、詩を書いた肖像画を納めています。
この詩が上の歌碑に書いてあるものです。
これを納めたのが正月なのですが、この三か月後に直弼は桜田門外の変で亡くなります。何か予感があったのでしょうか。
というか、本人も命が危険に晒されるであろう決裁をしている自覚はあったんですね。


此方は龍潭寺。
直弼が茶を楽しんだ茶室があるお寺なのですが、飄々庵と呼ばれるお茶室は普段は開けていなくて特別公開の時だけ開けているようです。
あんまりそのあたりの公開時期とかは私はよく分かっていないです……。


龍潭寺の横には井伊神社という井伊谷(現静岡県)八幡宮から井伊大明神を分霊して建てた神社があります。


祖霊社の方に直弼が合祀されています。
地面に止まってた蜂がね……何処からともなく数匹飛んでて滅茶苦茶こわ……って思ったので此処までしか行けていません……そこの階段にいたし。
こんなところで刺されて倒れたら発見される可能性が低いので……。
御本殿も風化老朽化の為拝見することは出来ないので、またいつか蜂がいないときに行きます……蜂は嫌です。
たまに特別観覧をしているときがあるのでそれに合わせていくのも良いかもしれません。


井伊直弼の像は神奈川県の掃部山公園にもあります。

掃部山公園は明治期には井伊家の土地で、像は横浜開港50年記念の時に建てられています。
ここは直弼の官位が掃部頭(かもんのかみ)だったため、井伊家が所有していた時には掃部山と呼ばれており、横浜市に寄付されたのちに掃部山公園になっています。

銅像を建てるのに反発していた山県有朋(山県狂介)、伊藤博文(伊藤俊輔)、井上馨(井上聞多)は除幕式には参加していないそうです。
まあ、それはそうですよね……と思います。安政の大獄で先生処刑してる人ですからね、仕方ないです。

この日の大戦も勿論直弼を使いました!
直弼かっこいいなー!!やっぱり!定期的につかいたくなりますっ。



以上この辺りで〆ようかと思います。
とても長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりどうも有難うございました!
 
更新日時:2023/09/05 21:50
(作成日時:2023/07/24 12:10)
コメント( 5 )
5件のコメントを全て表示する
栗花落
栗花落
2023年7月28日 0時4分

guriffon315さん⇒招き猫いっぱい可愛いですよね!寺務所にも願掛け用の招き猫がいっぱいで可愛い……。猫ちゃんは良き縁を運んでくれましたね!ひこにゃんの計略、思い付かないですが来て欲しい気持ちがとてもあります!!

栗花落
栗花落
2023年7月28日 0時24分

yunatogirlsさん⇒天秤櫓って装備するものなのですね……!写真を足しておきましたが、両隅に櫓があって中央に門が開いている造りなので天秤櫓と言います。
先生ホントになんでそんな事話したんだって感じですけど、まあ色々事情もあったのでしょうね。
黄色ではなかったので、多分クロスズメバチだと思うのですがどっちにしても刺されて問題なのは変わりがないので避けるべきですね。これからの時期、こういう所には活発な蜂が増えるので気を付けないといけません。

yunatogirls
yunatogirls
2023年7月28日 13時54分

なんか長州の群雄伝を見ていると、長州人は良くも悪くも潔い人が多いような。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」
とは松蔭先生の名言ですね。調査が始まった以上逃げられないと覚悟を決めたのでしょうね。
 
お城の擬人化ならぬ凝少女化キャラこと城娘を育成するゲームなのでw
追加写真ありがとう。天秤状ですね。

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