1656

歴史話:奸臣か忠臣か

by
王桃盗賊団
文士
文士
王桃盗賊団
どうも、王桃盗賊団の者です🍑



本日も、昨日に引き続き歴史話と参りましょうか✨
今回は戦国時代より、この人についてお話ししましょう👇🏻

我らがボンバーマンこと松永久秀です💣

松永久秀と言えば、英傑大戦では足利義輝を対象として計略を使用した際に「将軍殺しの汚名、俺が頂こう!」という特殊台詞があります🤔
この台詞の通り、久秀と言えば永禄の変で義輝を倒した人物として認識している方も多いのではないでしょうか?



しかし、実は久秀は永禄の変に参加していません
この辺りは本作の群雄伝でも描かれていますが、将軍を殺した実行犯は三好三人衆を軸とした軍団です

では何故自ら「汚名を頂いて」いるのか?🤔
少し考察してみましょう






まずそもそもこの久秀、悪辣で掴み所がないイメージとは異なり、実際は三好長慶への忠義が厚い人物であったとされています🙄

長慶の子である義興とは息の合ったコンビでもあり、なんとその嫡男たる義興と同じタイミングで同じ官位を得るという、一家臣としては破格の高待遇を受けています✨

そんな久秀なので、長慶が死んだ後とはいえ、主君が立てた将軍である義輝に文句を抱く事はあれど、殺すまでするとは考えづらいですね🙄






ところで長慶の死後、三好政権は長慶の甥義継三好三人衆の手に握られる事となり、当初は久秀もこれに協力しています👍
しかしその翌年に起こった永禄の変を皮切りに、彼らと久秀の関係は次第に険悪になっていきます😈

そして久秀は信長の上洛を助ける事で畿内の平定に協力させ、結果的に大きな権力を握るに至りました



ここから見えてくるのは、おそらく久秀の忠誠はあくまでも長慶個人とその周囲に対してのみだったのではないかという点です🤓
信長の傘下に加わった後はもはや忠臣の姿はどこにもなく、裏切りと謀略を繰り返し道楽に耽る奸臣となってしまいました

そんな彼が三好家に残す最後の忠義、それこそが「汚名を背負う」事で生き残った三好家の人々を悪名から救う事だったのではないでしょうか?😎
そしてそれによって恩返しは終了と自分の中で区切り、以降は本能の赴くまま駆け抜けた…という風に見えます



この切り替えの早さ、孤立をも恐れぬ立ち回り、その裏に秘めたる長慶への忠義こそが松永久秀という人物の魅力であるように思えます✌️






というわけで、今回はダメ計特殊台詞持ち繋がりで久秀のお話でございました🙇‍♀️

戦国時代の人物はその時々や視点によって評価が一転する事も多く、現代にも続く文化を築いていたりもするので、色々な視点から見ると面白いですね🤗
今後もこういった歴史話はちょいちょい挟んでいこうと思います✋

今回は以上‼️
作成日時:2022/10/03 23:02
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 0 )
コメントするにはログインが必要です
シェア