どうも、王桃盗賊団の者です🍑
今日は大戦シリーズから一度離れ、史実のお話をしようと思います🤓
皆さん、三国志の主人公というと誰を思い浮かべますか?
…まぁ、大体の方は劉備と答えるのではないでしょうか🤔
しかし史記としての正史三国志は、三国時代の後に天下を統一した晋によって編纂された物である為、晋の前身である魏を正統王朝として扱っています🔅
つまり「漢→魏→晋と皇位が禅譲されたから、晋は正統王朝なんだよ」という理論ですね
この為、正史三国志の大部分は魏志が占めています📖
よってこの正史を元とするならば、魏の礎を固めた曹操とその一族、そして最終的な覇者となった司馬一族の祖・司馬懿辺りが主人公となるわけです
では、何故現代では劉備(蜀)が主人公っぽい扱いを受けるのでしょうか?
歴史を紐解いていきましょう😎
実は正史三国志を編纂した陳寿は蜀の出身で、元々は蜀で役人をしていた人物でした👨💼
なので、ちゃっかり正史三国志の中でも劉備を先主と敬称していたりと、既に正史成立時点で劉備が主人公となる布石は撒かれていました
蜀の正統性が取り沙汰されるようになったのはその後、晋が衰退した頃です
当時の晋(東晋)は匈奴によって一度滅ぼされた後になんとか生き残った王朝であり、実質的にはもう殆ど力が残っておらず、いつ禅譲を迫られてもおかしくない状況でした☠️
そこで東晋は、なんと自分達のルーツであるはずの禅譲の正統性を否定しました❌
つまり漢→魏→晋という、禅譲によって受け継がれてきた正統王朝の流れを否定したわけです
これは要するに「禅譲とか意味ないから!だから迫らないでくださいお願いします」という論理ですね
代わりに、東晋は「漢王朝(劉一族)の正統な後継は同族の劉備が建てた蜀漢で、それを倒した事こそ晋が正統な理由だ」という事を言い出しました
これこそ、世に言う蜀漢正統論の大元です✨
この『蜀漢正統論』はその後も、東晋のような非漢民族によって窮地に立たされた国で盛んに取り沙汰されるようになりました
特に南宋の時代には朱熹という人物が『通鑑網目』という書物で大々的に蜀漢正統論を語っています
さて、歴史に詳しい方なら『朱熹』がどういう人物かご存知でしょう🤓
彼は儒教を体系化して朱子学を創始した人物です
この朱子学は、中国が明と呼ばれる時代になると国家教学となり、科挙(役人採用試験)にも出題される程になりました
結果、この頃になると朱熹が『通鑑網目』で語った蜀漢正統論も中華全土に広がる事となり、ここに一大ムーブメントを引き起こします✨
このブームに乗る形で刊行された物語小説…
それこそが、かの有名な三国志演義です😎
なので三国志演義は劉備を主人公に据え、桃園の誓いなどの有名なシーンを描いているわけですね
三国志演義の人気は凄まじく、日本でも吉川英治氏が執筆した小説『三国志』、そしてその吉川三国志を基に横山光輝氏が描いた漫画『三国志』に多大な影響を与える事となりました🔅
ここで、本稿の主題に戻りましょう
「何故劉備が主人公っぽい扱いを受けているのか?」
その答えは要するに「蜀漢正統論の影響を受けた三国志演義が、日本の三国志イメージに影響を与えたから」です
ご理解頂けたなら幸いです🤗
…というわけで今回は、蜀漢正統論とは何ぞやという解説を絡めたお話でした
今後もこのような歴史解説系のお話をちょくちょくしていこうと思うので、よろしければご贔屓にお願いします🙇♀️
今回は以上‼️