こんにちは、まいまいです
本日2回目の投稿です
英傑大戦は様々な時代の英傑が何者かの思惑によって三千世界に転生しているという設定ですが、ここで一つ疑問が生じませんか?
なんで見た目の年齢がバラバラなのか、と。
これについて私なりの考察が以前からあるので、書いてみます
それはつまり、
三千世界での姿は、その人が最も活躍していた・幸せだった頃の姿である。
という事です
根拠となるのが、戦国大戦では
青年期と
老年期の2枚が実装されていたこの人達。

英傑大戦ではいずれも中間くらいの年齢の姿をしています
この理論で行くなら新三国志大戦では
ショタ少年期と
青年期、両方が存在していた
彧様も説明が付きます
玄妙彧様
英知彧様
(個人的にはぽけ絵の英知彧様が儚さもあってめちゃくちゃ好きです)
さて、今作の彧様

は新三国志大戦の
玄妙彧様より大人びていますが、
英知彧様よりはやや
ショタに幼く見えます
それと裏面の列伝もヒントになりますね
まず、新三国志大戦の玄妙彧様の列伝。
【曹操の覇道を支えた政治家。若くして「王佐の才」を持つと評された。当時、一太守であった曹操に仕えると、人材登用や戦略提案など多岐にわたって活躍。呂布や袁紹など多くの難敵に苦しむ曹操を補佐し、覇者の座へと導いた。】
こちらは曹操が飛躍するまでの活躍について書かれています
次いで、英知彧様の列伝。
【曹操が一太守だった頃から軍政両面で支えた宰相。「王佐の才」と称された逸材で、長きにわたって曹操と漢朝のために貢献し続けた。晩年は漢への保守的な姿勢から曹操と意見が割れ、憂いの内に病死、あるいは自殺したという説もある。】
こちらの後半は晩年について書かれています
そして英傑大戦では…
【字は文若。豫州潁川郡の穎陰県出身。若くして賢才で知られ、「王者を補佐する才を持つ」と評価された。奮武将軍として東郡にいた曹操のもとに身を寄せると、曹操は荀彧を前漢の功臣・張良子房になぞらえて「我が子房」と歓迎した。】
晩年について書かれていない!
ということは、英知彧様より時系列的に前に当たるという事です!
やはりこれは、晩年の彼が幸福とは言えなかったからではないでしょうか。
すると最初に提示した「
三千世界での姿は、その人が最も活躍していた(幸せだった)頃の姿である」という説はいよいよ現実味を帯びて来ます
それこそ
蒙恬きゅんが
ショタ幼めの姿なのも同じ理由で説明できますし
(同輩たちと功を競い合っていた頃が一番幸福だったって事か…)
これはかなり濃厚な説なのでは!?
もちろん、断定はできないので皆さんの考察も是非聞きたいです。よろしくお願いします♪
ん?
これは考察記事に見せかけた推し語り記事なのでは、と?
…正解です。
ではまた!