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推しを語りたくなりまして…

by
つっきー
つっきー

※今回は推しを語りたいが為に書いた雑記の様なもので、大分長い文章となっております。なので時間のある時に、ゆっくりと読んで頂ければと思います。


 おはこんばんにちわ〜

唐突ですが…推しっていいですよね←
共に戦い、色んな場所に連れて行ったり、色んな嬉しいことを推し達と共有したい!そんな思いを持つ一人です。

 そんな中ですね…自分の推し、鎌田政清と源義朝公について考えたんです。主に計略の方を。

まずは二人の計略についてざっくり

鎌田政清
計略名「莫逆の契り」
計略効果は、鎌田と範囲内の最も武力が高い玄の味方の武力を上げ兵力を回復。効果終了後に鎌田だけ兵力が減るという号令。

源義朝
計略名「野望の果て」
計略効果は、武力と移動速度の上昇。相手に一定回数突撃すると覇道が前進する。効果終了後に撤退してしまう超絶強化。

いつ見ても癖がありますね、二人共。
それぞれ打つ事で活かせる場面が違ってきますが、助けられた場面は沢山あります!
そして、使っていてふと思ったのです。何故こんな計略効果なのかを。何故鎌田だけが兵力減るのか、何故義朝公は撤退してしまうのか。
とても気になり(二人をもっと知りたくなり)調べました。
あくまで自身の考えなので、一考察として読んで頂けると幸いです。


 まずは二人の関係。
二人は1123年に生まれ、乳兄弟(血縁はないが同じ女性の乳を飲んで育った者同士の事)として成長しました。
その後東国へと赴き力を伸ばし、来たる保元の乱で後白河天皇側につき勝利。崇徳院側についた為義、頼賢を処刑し為朝を流刑にしました(その時の義朝公に付けられた誹りである『ヲヤノクビキツ』は印象的でした)。
 その後の平治の乱で敗北。敗走し東国の舅の元を訪ねるが、裏切られ謀殺されてしまう。また、舅の裏切りを察知して義朝は自身を斬らせ逃げるよう提案するが、鎌田は拒否し義朝を斬った後自刃(自害)しました。

…うん、いつ聞いても悲しい←
毎度源氏伝の最後の二つやる度に、胸がきゅっと…ゲフンゲフン
でですね、これを知った上で二人の計略内容を見てみると…よく考えられてるなぁと実感してしまいました。



 まずは義朝公から(鎌田からじゃないんかいってツッコミはなしで)。
 彼の計略名「野望の果て」は、義朝公自身の信じ突き進んだ生涯を表しているようで、少し皮肉っぽく聞こえてきます。計略内容は、それまで東国で勢力を伸ばし奮闘した様子を表しているよう。しかしその果ては謀殺されてしまうという最期を自身撤退という事で表されているのかなと。
(エラッタで撤退無くなって欲しいと思う反面、義朝公の生涯を表していて無くすのはちょっと…ってなっている)

 次に鎌田。
 計略名「莫逆の契り」は、実際にある四字熟語『莫逆之契』から来ているもので、意味が『お互い争うことがなく、気心の知れた関係』でまさに義朝公と鎌田の関係を表している…!計略内容は敗走しそれまで何名かと共に東国へ向かっていたのだが、途中で離ればなれになってしまい義朝公の元に鎌田だけになってしまった。それを、対象を鎌田+範囲内の最も武力の高い玄の味方一人で再現。そしてデメリットの鎌田だけ兵力減少なのは、おそらく源氏伝や鎌田の台詞「源義朝の影であり、腕であり……そして、楯である」という台詞から来ているのかなと思いました。
 源氏伝で、鎌田が主人を失った腕だけでは生きる事は出来ないと言うので主人の義朝を失う=本体を失う=鎌田の兵力が減ることで表しているのではないか?と思ったんです。だから鎌田だけ兵力減少なのかもしれないですね。


 …と、長々と書いてしまいましたが、本当に計略内容考えた人すごいなって思いました!他の英傑達も、史実に沿った計略効果の人は多いと思うので…皆さんの推しの子の計略や史実を調べてみると新しい事が発見できると思います!

皆さんも良き推し活ライフを!
作成日時:2025/05/09 23:00
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