どうも、王桃盗賊団の者です🍑
現在、英傑大戦では
第2代内閣総理大臣が流行っていますね✨
この
黒田清隆という人物、史実においては非常に優秀な指揮官でした💪
以前に少し話した
高島秋帆の孫弟子に当たり、巧みな砲術指揮能力で旧幕府軍を追い詰めています💥
更に
示現流も免許皆伝の腕前で、
ヅラ以外に彼を(物理的に)止められる人はいなかったそうです
一方、総理大臣としての評価はあまり高くありません🥺
先代にして初代の内閣総理大臣である
伊藤博文は海外の法律を参考に様々な政策を打ち出していましたが、黒田にそういった革新的な政治を行った記録はあまり無いのです💦
なので、正直印象は薄いと思います
しかし無能な総理だったのかというとそんな事はなく、むしろ優秀な人材を多く入閣させて政府を
安定化させた功績を有しています👍
その点において、彼は
政権の2代目という点では屈指の有能だったと言えますね✨
というわけで、今日はそうした
2代目のお話です
歴史上、多くの場合で国・政権・勢力の創設者…即ち
初代は
天才的なカリスマの持ち主です👑
劉備や
劉邦、
頼朝や
尊氏などが好例ですね✨
英傑大戦に登場していない人物ではマケドニアの
アレキサンダー大王やフランク王国カロリング朝の
カール大帝なども有名です
対して、2代目というのは大概影が薄いモノです🥴
しかし歴史上の長期政権を見てみると、カリスマたる初代がいなくなった後で政権の後継者がちゃんと活躍しています💪
例えば150年程続いた
鎌倉幕府は、頼朝没後の混乱を妻の
北条政子が治めた事で、
尊氏&義貞の登場まで存続する事ができました
江戸幕府も
家康の後、秀忠→家光と優れた後継者が活躍していますね
一方、初代のカリスマ性は絶大だったにも関わらず後継が失敗した為に短命に終わった政権としては
秦と
蜀漢が代表的です🙄
秦は
嬴政による統一から
劉邦による滅亡までが
たった15年という短命ぶりで、この原因は嬴政の死後に宦官
趙高が暴政を敷いた為です☠️
蜀漢は一応42年程維持されたものの、これは
劉備の没後に
諸葛亮が頑張っていた為で、その諸葛亮が没した後はやはり宦官の
黄皓が権力を得た事で完全に衰退しました
どちらも2代目の時代に臣下に恵まれなかったパターンです
日本での分かりやすい例は
豊臣政権でしょう🐒
秀吉の没後に
家康は秀頼を軽んじており、遂には言いがかりにも等しい口実で
大坂の陣を始めて天下を完全に奪い取ってしまいました😈
これは秀頼が暗愚だったというよりは家康の天才的な立ち回りが冴えたところですが、まぁいずれにせよ2代目が活躍できなかった点では同じですね
なお、こうした傾向は歴史のみならず
創作の世界でも言えます🤔
例えば某忍者漫画では天才的なカリスマの
初代火影に対し、内政を整えて国の運営体制を固めた
2代目火影が登場し、里を長期的な巨大国家へと育てています🍃
また、某死神ノート漫画ではカリスマ的な
初代Lの没後も
2代目Lがその遺志を継いだ事で新世界の実現を阻止しました🍎
また、皆さんの周りでもカリスマ的なワンマン社長が会社を成長させた後、無能な2代目が倒産させてしまった…という事例を見た事があるのではないでしょうか👀
これらの事例からも明らかなように、ただ1人の英傑だけでは国を長く保つ事はできない、というのが歴史の常です🧐
その点、
黒田清隆は現在まで続く日本政府の根幹を成したという点でとても重要な2代目であったと言えるでしょう
更にオマケ的な話ですが、皆さんは
第2代天皇をご存知でしょうか?👑
初代が神武天皇である事はご存知の方も多いと思いますが、2代目に関しては知らない方が殆どかと思います
第2代天皇は名を
綏靖天皇と言い、専横を企んだ兄を誅殺して皇位に就いた人物とされています💪
しかし記録はそれだけで、そもそも欠史八代の1人なので実在していたのかも怪しいという謎すぎる人物です🤔
今後どこかで文献が見つかる事を祈るしかないですね
なおこの綏靖天皇という名前は奈良時代(8世紀頃)になって
淡海三船という人物が
「昔の天皇にも漢詩っぽい諡号をつけようぜ!」という感じで付けた名前だったりします🤪
綏靖という言葉は
とても安らかという意味であり、実は元ネタは
陸遜が呉の丞相となった際に
孫権から出された詔だったりします
こんなところにも日本史と三国志の繋がりがあるのは面白いですね✨
孫権自身は2代目選びに大失敗してるのにね
というわけで、2代目に関する歴史話でした🙇♀️
今回は以上‼️
コメント失礼します。
実際に家督は継いでないですけども、袁紹の息子3兄弟の相続争いや、曹操の息子曹昂(曹操を助ける為に馬を差し出し没)、織田信長の息子信忠(本能寺に助けに向かい信長と共に没)、等、2代目選び(争い)はどの英傑であろうとも上手くいかず、中々大変ですね。
ちょっと前なら北◯鮮で長男が···ゲホゲホ。
> 秀頼が暗愚だったというより
豊臣政権が固まっていませんでしたね。
家臣団は文治派と武断派に分かれ、秀吉がいたから収まっていただけ。
後継は秀次がいたのに粛清されてまだまだ幼い秀頼が継ぐ。
天下を諦めれば生き残れたでしょうが、淀の教育上そんな選択肢は選べなかったような。
ちょっと信長とか上杉謙信を考えて思ったのは。
一代目は強力なカリスマで突き進むのですが、二代目に引き継ぐ事を考えていないのでは。
かと言って自信満々のカリスマ武将に、後継の事を考えるのはどうですか?と進言して、
「不吉な、俺が早死して欲しいのか!?」と怒鳴られて首を斬られたら嫌ですしw
信忠は本能寺の変で勝算もなく籠城して散りました。駒としては忠義を示せますが、二代目のやるべき事ではない。
信長は信忠に家督を譲ってはいましたが、二代目ではなく駒として育てていたように思います。
後継とか二代目とか色々大変ですね。
>古の幻獣さん
>yunatogirlsさん
袁家と上杉家に関してはアレキサンダー大王のマケドニアによく似ていると思います🧐
いずれも主君自らが勇武を振るって親征を行ったものの後継を決めきらないまま崩御し、結果的に配下の者達が勝手に分裂して後継者争いをしています⚔️
その点、頼朝/尊氏/家康の3名はいずれも近い代で有能な後継者がいたのが大きいですね