どうも、王桃盗賊団の者です🍑
さて今回は久々の
歴史話になります✨
テーマはタイトル通りですが、主に古代中国の
称号についてです
英傑大戦にも登場している古代中国の人物を見ると、例えば
晋文公などには
公、
楚荘王などには
王、そして
嬴政もとい始皇帝には
皇帝という称号が名前に付随しています👑
これらはいずれも国家の君主を意味する言葉ですが、しかし実はそれぞれ意味が少し違います
ここをハッキリとさせる事で、特に春秋戦国時代や三国志の話が分かりやすくなるので、是非抑えておきたいポイントですね🧐
というわけで、それぞれの称号の解説をしていきます
まず大前提として、春秋時代が始まる前までは
周王朝が中華を支配していました💪
この周という国の主が持つ称号は
王です
その周王朝の傘下には
諸侯と呼ばれる者達(王の親族や功臣、地方の有力者などの子孫)がいて、それぞれの領地を持っていました🏯
この諸侯らの称号が
公であり、例えばかの有名な
呂尚は諡号にて
斉太公と呼ばれ、これが転じて
太公望と呼ばれるようになりました✨
よって、公というのはあくまでも
王の下に位置する称号なのです
そしてこの公の中でも特に影響力が強く、会盟を主催するなどして諸侯らのリーダーとなった人物を
覇者と呼びます😎
ただこの覇者というのも、あくまで王の臣下です🙄
日本の戦国時代で例えると各地の大名が諸侯で、覇者は征夷大将軍みたいな感じで、その上に天皇という王がいる…という感じです
しかし周王朝の影響力が弱まると、次第に諸侯らは
王を名乗り始めます🤔
そうして様々が並立し全員が王を名乗った事で、春秋時代から戦国時代へと移り変わります⏰
これは以前の投稿でチラッと話題に挙げた
平将門が
新皇を名乗って国を二分しようとした行動が、中華全土で同時多発的に起きたようなイメージですね
そして遂には
昭襄王と
斉湣王が
王を超える者という意味で
帝という称号を使い始めてしまいました💥
ちなみにこの帝という称号が何処から来たのかというと、中国神話における古代の神格化された君主
三皇五帝からです🧐
三皇は国の始祖として最高位の神格として扱われている為、次点の神格でありつつ王より上というところで帝が用いられたのでしょう
そして遂に
秦が天下を統一すると、
嬴政は曽祖父・昭襄王が称した
帝の称号を用いる事を望み、協議の末に
「五帝を超えて三皇に等しい存在」という意味合いで
皇帝を自称しました👑
これにより
皇帝>王>公という序列が完成したわけですね👌
以降も皇帝という位は最高の称号とされ、清の愛新覚羅溥儀の代まで2000年以上に渡り中華の君主の称号となりました
こうして考えると、三国時代における
3人の皇帝がいる異常さおよび
袁術がした事の異常さがお分かり頂けると思います🙄
特に袁術に関しては
献帝が在位の頃から帝位を主張したわけで、献帝の廃位後にそれぞれ
漢の後継者を自称した
魏呉蜀とは明確に異なります❌
そりゃぶっ叩かれるのも仕方ないですね
< いひぃ~…
なお称号のインフレ自体は皇帝までに留まっていますが、三国時代より後の
五胡十六国時代や
南北朝時代においては多くの国主が皇帝を自称する事態となっています🔥
(以下反転ネタバレ注意)
今回司馬伝において『劉淵』の存在が仄めかされましたが、今後は五胡十六国時代も登場するのか、期待したいですね(ここまで)
というわけで、称号の話でした👌
今回は以上‼️
范増「覇(覇者)は王より格下ですからおやめください」
項羽「覇じゃなくて覇王だからいいんだよ」
という微笑ましいエピソードもありましたねえ
恥ずかしながら、とあるゲームの影響で三皇や五帝よりも上の称号が皇帝と思ってました
毎度面白いし分かりやすくて勉強になります
>らとさん
うーんこれは知力1😇
>シキさん
さすがに地母神である女媧をはじめとする三皇よりも上を称するのは、当時の民衆心理的にも良くない事ではあったでしょうね🤔
なので三皇に等しい、という程度に留めたのかと思います