どうも、王桃盗賊団の者です🍑
今日は小休止としまして、久々に
歴史話をつらつらと書いていこうと思います😎
内容はタイトル通り
左大臣と右大臣についてです
英傑大戦に実装されている中で左大臣経験者といえば
藤原頼長が、右大臣経験者といえば
織田信長などがいますね✨
⬆悪左府の『左府』はそのまんま左大臣の意味です👌
また
藤原道長は左右どちらも経験しており、彼と
平清盛/豊臣秀吉/徳川家康の計4人は更に上位の
太政大臣に任じられていますね
なお
贈位といって没後に官位を贈られる事もあります👑
この贈位まで範疇に含めると
足利義晴と
義輝が贈左大臣、
大久保利通が贈右大臣に該当し、更に
頼長と
信長および
家光以降の歴代徳川将軍家は贈太政大臣に該当します
そんな左大臣と右大臣ですが、この2つの官位は対等ではなく
左大臣の方が立場は上となっています🙄
これは、日本においては
右より左の方が偉い(左上位)とされている為です
何故左の方が偉いのかについては諸説ありますが、太陽の動きが元とする説が有力ですね🧐
基本的に家屋は南向きに建てて陽光を取り込む仕組みとなっているわけですが、その家の中で南中の太陽に正対するとなると(本人から見て)左は東、即ち
日出ずる方角です🌞
なので左側の方が偉い、という理論になるわけですね
また、より現実的な理由として
右利きが多いからという点も挙げられます⚔️
例えば敵襲を受けて天皇を中心に左右を大臣が守るとなった際、右方向は天皇自身が右手で刀を構えて守れますが、左側はどうしても隙が生じます💦
そこで、天皇が自身の命を預けられるくらいに信任している者を左に置く、という概念が生まれたわけですね
そんなわけで日本では右大臣よりも左大臣の方が立場は上になるわけですが、これが
中国史の方になると結構ややこしくなります🥴
というのも時代によって左右どちらが上位になるか変わってくるからです
三国志の時代は
右上位であり、例えば
劉備/関羽/張飛が並ぶ時は劉備を中央に(劉備本人から見て)右側に次兄の関羽が、左側に末弟の張飛が並びました👍
しかし
唐の時代になるとこれが逆転して
左上位となっており、その後も左右がコロコロ入れ替わります💦
日本の律令制は唐を参考にしている為、左上位が採用されたようですね
よって、例えば
右に出る者なしなどに代表される右上位の言葉は基本的に漢代の成語…というか
劉邦の言葉が元だったりします(田叔・孟舒への評)
そんな日本・中国の左右観のお話でございました🙇♀️
なお、現代の国際的なルールは
右上位が基本となっていますのでご注意ください⚠️
ちなみに、英傑大戦ではデッキ登録画面において
盤面の左にあるカードから順番に登録される仕様です✨
なので開幕ボイスを聞きたいカードを
左大臣に任命して声を聞きましょう👂
今回は以上‼️