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土佐伝 一章所感

by
桜井華奈
桜井華奈
土佐伝 一章終わりました。
感想まとめhttps://taisengumi.jp/posts/173935


以下感想


【物語について】
坂本龍馬が土佐から江戸へ出向き、郷士としての一生とどう向き合うかがテーマ。
かと思いきやその実、主人公は武市半平太でした。


土佐伝は上士と郷士(下級武士的な)の対立がある種のテーマ。
基本的に郷士側の視点で物語が動くので攘夷思想が正義として描かれるんだけど、その異端枠として龍馬が配置されている感じ。
なので話を動かす際に龍馬を起爆剤として使いたいという意思を感じるんだけど、龍馬を風雲児として扱いたい気持ちが先行してしまってもにょってる気はした。
印象的だったのが岩崎弥太郎回の喧嘩のとこ。まあどんな話だったのかまでは書かないけど、一昔前のなろうイズムを感じた。
上記に加えて前半から中盤にかけては日常感が結構強くて、なんとなくきららアニメに近いものだと自己暗示をかけていくようになった。


ただこれが五話の「長州へ」くらいから印象は変わったかも。
前半は龍馬が「土佐」と「それ以外」の違いを感じて、やっぱ土佐はいかんな~レベルの感覚なんだけど、同じく攘夷思想の「土佐」と「長州」の違いを目の当たりにして目覚める的な流れ。
土佐はいうなればカーストなので上士に逆らえないが、長州は意見のぶつかり合いが起きる。
つまり、長州と土佐の違いを描くことで龍馬を掻き立てさせる。本人ではなく環境を見せることでキャラクターの成長を魅せる、個人的に理想的な風雲児の描き方だった。
ここにこの群雄伝の面白さが詰まっていると感じました。
や長No1


後半になるにつれて龍馬の出番は減っていき、武市半平太が土佐藩を牛耳る過程の話になる。

八話を読んだことを契機に武市半平太と岡田以蔵をwikiベースで調べたけど、この二人レアリティ逆じゃない?感すごい。
人気とか知名度を意識したレアリティ設定だと思うからとやかく言うのは野暮だけど。

あと見落としてるだけかもしれないけど、この群雄伝だけだとなんで田中新兵衛があれほど武市半平太に心酔してるかがよく分からん~みたいな感じする。
まあ名声を高めてるからそういうもんかみたいな着地になりそう。調べたら義兄弟になってるらしいのではえ~となる。



【キャラクターについて】
前述の通り、主人公は武市半平太なんですけど、元々龍馬の親戚(というか兄貴分)な立ち位置なので序盤は結構清い感じで描かれていた。
それが物語の後半に差し掛かるにつれてより黒くなっていった。
野心家キャラは勧善懲悪として描きやすいから敵側に配置されがちな気がすると思うけど主人公側なのは結構好みな配置です。
実際以蔵やその他を道具として見てるフシがあるのも良い。


【雑記】
松陰先生回、前半パート(きらら)なので辛さはあるんだけど、「飛ぶが如く」って突然発言し始めてびっくりした。歳久好きなので。

ただ、歳久の計略名は「翔ぶが如く」、元ネタの司馬遼太郎もまた「翔ぶが如く」。
松陰先生のはミスなのかなって思った。セガクンサ~🤓
とか思ってたら吉田松陰の言葉に「心甚だ急ぎ、飛ぶが如し、飛ぶが如し」ってあって、なんならこれが翔ぶが如くの元ネタらしくてヒョエ~ってなりました。私の負けです。


【最後に】
土佐伝を進行中普通に錯覚してて、終わってようやく気がついたのが、「これ坂本龍馬伝じゃなくて土佐伝」だった。あくまでも坂本龍馬視点多めってだけ。
これに気が付かないと(気が付かない方が悪いのだが)違和感の塊な群雄伝になる。

というのも、全体的に龍馬がなんかふわっとしてるというか、流されゆくままにみたいな感じがする。
勿論脱藩とかそういう行動力はあるのだけれど、土佐伝の主人公は武市半平太で、龍馬は寝そべり族みたいになってる。
作中でも半分は商人の血って言ってるし他を犠牲にしてでも攘夷って感じじゃないのはまあ解釈一致ではあったけど、にしては龍馬フィーチャーしすぎでは?みたいな気がしなくもない。終幕でも実際何もしていないって指摘されているし。

なので土佐伝は「龍馬が江戸から黒船が如何に脅威的かを土佐へ伝え、武市半平太が土佐を動かす話」である。
雑なエアプチェックとして土佐伝の主人公は?って聞くのもいいかもしれませんね。FF10はティーダとジェクトの話レベルのチェッカーですが。
更新日時:2024/01/07 20:16
(作成日時:2024/01/07 20:15)
カテゴリ
雑談・雑感
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