突然ですが私は奈良県に住んでいます。奈良県の戦国武将といえば松永久秀、筒井順慶、あとは順慶の家臣だった島左近が代表的でしょうか。
奈良県民の私にとってカード追加で順慶が英傑に参戦したのはうれしいところ。とりあえず新カードで一番最初に刷りました。
順慶は生涯にわたって松永久秀と大和の支配権を巡って争い、一時的に両者は織田信長の傘下に入り和睦。
その後久秀が信長を裏切り信貴山城の戦いで久秀は死亡。長い争いに決着を付けました。
英傑では1コストの鉄砲隊で計略は狙撃戦法。士気が軽いため士気溢れ対策に使ってもいいかもしれません。
デザインは戦国大戦準拠ですね。イラストを見るに人形が鉄砲撃ってるようです。
人形に喋らせるというすごいキャラ付けがされていますが元ネタを考察してみます。
順慶の父、筒井順昭は順慶が2歳の時に亡くなります。2歳に家督相続させると速攻攻められそうなので順昭に似ていた木阿弥という僧侶を影武者にしてまだ生きているということにしました。
順慶が成長して家督を相続すると木阿弥は元の僧侶に戻りました。これがかの有名な「元の木阿弥」の由来になっています。
影武者を身代わりにしたというところから連想して人形を持たせたんじゃないでしょうか。
ちなみに順慶由来のことわざはもう一つあります。日和見を決めこむという意味の「洞ヶ峠」です。
山崎の戦いの際、懇意にしていた明智光秀から順慶に援軍要請が来ました。順慶は山崎にほど近い洞ヶ峠という場所に布陣して日和見を決め込んだという伝説が由来です。
まあこれは作り話らしく順慶にとっては冤罪です。…洞ヶ峠に布陣してないだけで山崎の戦いにおいてはどっちつかずで日和見していたのは事実ですが。
さて、順慶が英傑に参戦したのを記念して順慶ゆかりの地を巡ることにしました。
過去に松永久秀ゆかりの地を巡った際に信貴山城を訪れましたが、ここも順慶が信貴山城の戦いに参戦しているのでゆかりの地といえます。
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松永久秀ゆかりの地巡りの記事
まずやってきたのは奈良県の平端駅。
駅から少し歩くと筒井順慶の墓所があります。
順慶は1584年に亡くなった後円証寺に葬られました。その後改葬され現在のこの地で眠っています。
この五輪塔の覆屋は国の重要文化財に指定されています。
平端駅から一駅移動して大和郡山市の筒井駅へ。
地名の通り筒井という地は筒井家の拠点筒井城があった場所になります。
順慶という焼き鳥屋があったり地域では筒井順慶はそこそこ慕われているみたいです。
筒井城跡に来ました。周辺は住宅地になっていますがお堀の名残の池などが残っており城があった痕跡が見受けられます。
詳しい築城時期は不明ですが、文献に最初に登場するのは1429年です。ちなみに応仁の乱が1467年です。歴史ありますね。
最初の城主筒井順覚から順慶まで筒井家八代が拠点にしていました。
八度も筒井城で戦いが起きており落城したり落城したりしています。
1571年に織田信長が大和一国破城命令を出し筒井城は廃城、郡山城へ拠点を移すことになります。
さらに一駅移動して近鉄郡山駅。郡山駅前にはコロッケのハヤシというコロッケ屋がありおすすめ。
このあたりは城下町といった雰囲気で地名にもそれが表れています。
塩町、魚町、豆腐町など城下町によくある地名が残っています。
また、大和郡山市は金魚の生産が盛んで電車の車窓からは水田のように金魚の養殖池が広がる風景が見えます。
金魚博物館があったり、金魚すくいを体験できる場所があったり、郡山市で金魚すくいの全国大会が開かれていたりします。
金魚が入った公衆電話もあったんですが芸術家から著作権違反で敗訴して撤去されました。
郡山市に来たならそのあたりも観光するのをお勧めします。
筒井城が廃城になる前からこの地に城は存在しており久秀と順慶の戦いにも登場します。
1580年の大和一国破城命令で順慶の拠点が郡山城に移ります。
1584年に順慶は死去します。養子の筒井定次が後を継ぎますが伊賀へ転封となりました。
1585年に豊臣秀吉の弟、豊臣秀長が大和、和泉、紀伊の領主として郡山城に入ります。
100万石の領主であること、官位も従二位権大納言に昇進したことから秀長は大和大納言と呼ばれました。
秀長は郡山城の大規模拡張工事を行っています。石材が足りなかったのか石仏が石垣に使われていたりします。
1591年に秀長が死去、養子の秀保も1595年に死去し大和大納言家は途絶えます。
増田長盛が入城しますが関ケ原の戦い後に左遷、大久保長安の管轄下に入ります。
大阪の陣では西軍が郡山城を攻撃しています。
江戸時代以降は水野勝成から本多氏を経て柳沢氏が城主を務めました。
2022年11月、郡山城は国の文化財に指定。
桜の名所としても知られ毎年春にはお城まつりが開催されています。出店が出るので子供の頃はよく行っていました。
2019年の写真が残ってました。なぜかきゅうりの一本漬け食べてました。
郡山城にほど近い場所に豊臣秀長の墓、大納言塚があります。
せっかくなのでお参りしてきました。
これがかの有名な「元の木阿弥」の由来になっています。←
初めて知りました!
しかし、代わりを務めた木阿弥さんもすごいですな。
歴史ある街はいいなぁ…
うちの辺りは特に何も無いのて…
>妖狐さん
歴史について調べてるとたまに故事成語の由来だとか出てくるんですよね。
三国志の魏帝、曹叡について調べてたら「絵に描いた餅」が曹叡が由来だったり。
>王桃盗賊団さん
なにもないと思ってる町でも調べてみると案外あったりするもんなんですよね。
前にtwitterでgoogle mapで「史跡」で検索すると案外まわりに面白いものが見つかるって話題になってました。
ちょっと旅行した気分になりました!
人形の由来?も気になっていたので「なるほどな」と思いました。