こんばんは。先日のバージョンアップで松永久秀さんが下方されました。よくお世話になってました。
ということで松永久秀ゆかりの地に行ってみることにしました。松永久秀に関連する場所を巡ったので紹介していきます。ついでに道中の神社とか回ってますが割愛。興味ある方は
YAMAP投稿しとくから見てね。多分15km以上は歩いてるはず。
やってきたのは奈良県の王寺町は王寺駅。ここから東西南北と奈良市方面の5方向にいける県内屈指のターミナル駅です。
駅を出て南に行くと達磨寺というお寺があります。聖徳太子が建てたらしいです。中も見学可能。重要文化財ゴロゴロしてます。徳川家康の朱印状とか…昼間ならガイドさんいるので案内してもらいましょう。
この達磨寺、信貴山城落城前日に松永久秀によって焼かれたようです。ですが松永久秀のライバルであった大和国の筒井氏によって久秀はこの地に埋葬されたという記録が残っています。
これが達磨寺にある松永久秀の墓。らしい。近くには説明板もあります。
さて、王寺駅に戻って隣駅の三郷駅に移動。
三郷町はかつては奈良と大阪を結ぶ龍田古道が通っていた地です。駅前の通りが龍田古道。日本遺産登録されたらしいです。おめでとう。
まず龍田古道を歩いて龍田大社を目指します。
第10代天皇の崇神天皇の時代に創建された記録があります。それがホントなら3世紀か4世紀辺りと推定されるので1600年は歴史があることに…ほんとか?なんにせよ近代社格制度では官幣大社。奈良県では春日大社や橿原神宮、吉野神宮と言った有名どころと肩を並べる由緒ある神社です。
松永久秀も1回ぐらい訪れてるのかもしれない。
龍田大社から少し下ると松永久秀の慰霊塔があります。
ちゃんと手入れされており地元の方の信仰が伺えます。
さて、次は急な坂を登って城山台という住宅地へ。
この城山台という地名ですが、この地に立野城という城があったことに由来します。
遺構は住宅街造成で跡形もなく数年前設置されたこの説明板があるぐらい。
立野城は室町時代に立野氏が築城しました。松永久秀が大和に入った後は信貴山城の出城として使われたと考えられています。
城山台からハイキング道を通って信貴山へ登っていきます。
三郷町から信貴山へ登るハイキングルートは2つあって信貴山下駅から伸びていたケーブルカーと線路跡を利用したハイキング道がメジャーです。今回私が歩いたのはマイナーな方。線路跡の方は一直線なんで心折れそうになる。
信貴山に登ると朝護孫子寺がお出迎え。張子の虎で有名ですね。ここも聖徳太子が建てたとか。朝護孫子寺の本堂付近からさらに登って行きます。ハイキング道含めそこそこ疲れるので水分は買っとこうね。
登りきると信貴山城跡の碑。ここで平蜘蛛と共に爆死したのかあ。※平蜘蛛と共に爆死したのは後世の創作
ここから信貴山城の曲輪などを巡っていきます。
こんな感じでNPO法人の方が整備されてます。山の中なのにめちゃくちゃ歩きやすい。
訪れた日も数十人が作業しておられました。
説明板が所々に立ってます。
松永久秀好きなら1度行ってみる価値はありますね。大阪方面からはケーブルカーで行けたはず。三郷町も朝護孫子寺まではバスあります。
信貴山城を回ったあとは東の平群町へ下っていきます。
平群町は松永久秀のライバルの筒井順慶…の家臣島左近をPRしてます。なんかゆるキャラになってます。平群町で開催される時代祭には島左近と松永久秀が夢の共演を果たしますよ。
平群中央公園には城跡が2つあります。まあ完全に公園として整備されてて説明板ぐらいしかありませんが。一応藪の中に堀切はあるみたいです
西宮城は松永久秀が大和に入った時に松永方の城になったようです。信貴山城の戦いの際に一緒に落城した模様。
信貴山の向かいの矢田丘陵の山に向かって進んでいきます。この山の上には椿井城跡があります。堀切とかが残っていて城跡好きにはたまらないはず。
登城口には左近君がお出迎え。ここからガチの山道なので行くなら歩きやすい靴用意しときましょう。500mぐらいなんだけど道が細いとこもあるし。急なとこもあるし。
椿井城は従来の説では島左近の居城として築城されたと考えられていましたが、裏付ける史料はなく、信貴山城に近いことから信貴山城の出城であったという説も出てきています。つまり松永久秀の城であった可能性がある城です。
なお椿井城の北側は10年ぐらい前から保護作業で入れません。まあ堀切とかは見れるので是非行きましょう。結構登りきついけどね。