お正月の特別台詞を聞いてみたのはいいけど、「いまいち分からん!」と思ったかもしれない会話を解説してみます
1、尼子晴久
言ってる事は分かるけど、中山神社ってどこ?という方もいるのではないかと思います
中山神社(なかやまじんじゃ)は岡山県津山市にある神社です
戦の際に尼子晴久が境内に陣を置く敵を攻略するために火を放って社殿が焼失しています
その後尼子晴久の手により再建されています
※本殿は国の重要文化財になっている
そういう経緯で尼子晴久と関わりが深い神社です
※ここから下はとても理解しにくい陰陽五行な話です
途中で読むのをやめても全く問題ない!
2、安倍晴明
尼子晴久と違って言ってる事も分からん!という方も多いと思います
これは陰陽五行説を知らないと何のことだかサッパリわかりません
世界は陰陽の二気から成り立っているというのが基本になります
陰と陽が交合して、天では太陰(月)と太陽(日)に、地では木・火・土・金・水の五気となって万物を形作った…らしい
陰陽は相反する二つのモノなのは何となく分かると思いますが、五気はちょっと分かりにくいかも
五気は主に2種類の流れがあります
相生 木→火→土→金→水→木 前の気が後の気を生む
相剋 木→土→水→火→金→木 前の気が後の気を剋す(殺す)
こういう感じな五気が干支と複合して色々な場面に出てきます
春 木気 寅・卯・辰(1~3)月
夏 火気 巳・午・未(4~6)月
秋 金気 申・酉・戌(7~9)月
冬 水気 亥・子・丑(10~12)月
土用 土気 辰・未・戌・丑の各後半、約半月間
※ウナギを食べる「土用丑の日」も五気と干支の組み合わせ
こういう陰陽五行説の考え方でものを言ってるので、会話がまともに分かるわけないのです
これを見ると「春が木気なんだ!」と分かりますね
晴明が「松を飾り、良い気を迎えようか」と言ってるのは春が木に属する月だからですが、お正月に飾る松といえば門松!
門松をお正月に飾るようになった起源となる行事は平安時代の宮廷儀礼の「小松引き」と考えられています
まさに安倍晴明の生きた時代には存在した文化なのです
3、星熊童子
安倍晴明以上に分かりづらい星熊童子の台詞
陰陽師と凧揚げや羽付きがどう関係するんだよ!と思われた方も多いと思います
ここで出てくる凧揚げや羽付きは、陰陽道を踏まえた正月の魔術とか儀式と言えるモノです
<羽付き>
羽付きの羽は鳥=酉を表します
つまり羽付きは酉を撃ち放つ儀式で、酉=金気だから木気の敵である金気を撃つ事で、春(木気)を迎え入れるわけです
<凧揚げ>
凧揚げですが、元々は「いかのぼり」と呼ばれていました
「いかのぼり」を辞書で調べると「紙鳶」と漢字が当ててあります
つまり紙で作ったトンビで、中国起源の三角形の凧だったのです
これを高く揚げるために足がつきイカの姿になりました
木気の春を迎えるために金気を剋するには火気が必要
炎は三角形の形を取り、また火気は(燃え)上がるモノ
つまり火気の姿である三角形のいかのぼりを空高く上げることは、まさに火気をあおり、金気を制し、ついには木気をさかんにするという事です
…書いている超♂兄貴の脳が半分くらい理解を拒否しているような内容の事をちゃんと理解して、「ああ、忌々しい」とか言ってる星熊童子の陰陽五行説への理解度は凄いなと思います
まあ、星熊童子は「陰陽師の儀式ウザい」と言ってると思っておけば概ね間違ってないと思われます
ちなみに蘆屋道満の台詞の
「陰陽師どもが火花を散らす、陰陽五行大戦の始まりだ!!」
の陰陽の読み方は
「"オンミョウ"師どもが火花を散らす、"インヨウ"五行大戦の始まりだ!!」
同じ「陰陽」なのにこんな短い文章内で読み方変わるから、日本語って難しいよなぁと思います
<最後まで読んだ人への癒し画像>
普段は見えない甲斐姫の後ろ姿
尻!
最後の画像で上の文章をすっかり忘れる話でした
ここまで解説できる知識が素晴らしいです👏👏
そして尻!!
何となくしか理解してなかった部分が分かりました✨
お尻もいいけど背中もね😍
はぇ~すっごくかしこい星熊童子しり!
色々書かれていて凄いなと感心してましたが、最後の尻に全て持っていかれた感があります(笑)
三角形に足が付き、
イカの姿になった物が、
たこと呼ばれる…難しいですね( ̄▽ ̄;)ゞ
牧村さん
色々と調べました
ちゃんと理解できてるか怪しいですが…
劉龍華さん
何となくでもりかいできてるならすごいです
ジャスタさん
「ものしり」とは「ものすごいしり」を略した言葉である
…などとという事はない
奈月さん
陰陽五行説と甲斐姫の尻のどちらが好きかと言われれば答えは一つです
誠さん
流行り過ぎて「いかのぼり」を揚げている人同士でケンカになったり、通行人の邪魔になったり、民家や大名行列に落ちたりといった問題が多発していて、「いかのぼり禁止令」が出された
そこで江戸っ子が「これはタコのぼりだ!」と屁理屈をこねて遊び出したのがタコの由来…という説がありますが、他にも京都の「いかのぼり」という言い方に対抗して「じゃあこっちは「タコだ」みたいな対抗心で名付けられたとか諸説あります
中山神社→中山競馬場の事だと思いましたw
あと尻で全部持っていってもうたww
ウンパスさん
お金が当たる…かもしれないおみくじを引きに行くのですね
中山競馬場の前身である"中山”競馬倶楽部という名前になったのが大正9年なのは置いといて
星熊童子←
知力1とは思えない理解力がありますな。
普段は見えない甲斐姫の後ろ姿←
当たり前ですが、きちんとモデル作ってあるのですな。
普段見ない位置なので面白いですな。他の武将の背中も見てみたいですな。
楊狐さん
男性武将は所有している英傑寵臣だと完全に振り向くモーションがないので後ろ姿が見れません
女性武将も武将によって見れたり見れなかったりします
超♂兄貴さん
追加の解説ありがとうございます(⌒‐⌒)♪
大戦組はたまにしか覗いていないので、
通知に気付くのが遅くなりましたm(_ _)m
屁理屈(洒落)が通用する時代は、
色々なユーモアに溢れていそうで、
とても楽しそうですね(>_<)b