・はじめに
陰陽師といえば何を思い浮かべますか?
陰陽師といえばもちろんそう!
野村萬斎ですよね
…?
……?
気を取り直して
1990年代末、世紀末ということもあり世界滅亡予言などから数々のスピリチュアル、オカルトコンテンツが流行りましたね。
それは学校の怪談であったり、心霊テレビ番組であったり、シャーマンキングなんかもその一端なのかもしれません。いずれにせよそういうブームに触れて私は今の趣味趣向になりました。まぁそもそもバブルとかも弾けてたんでそういう末法の世、厭世観みたいなものもあったんでしょうがふわふわしたそういうものが流行ったんじゃないかと思います。
そして世紀末も無事あけて少し経った頃映画の陰陽師が公開されました。皆様の家にも陰陽師ブームに乗って三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集を買ったよ、とか、三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集おじいちゃんのうちにあったなぁ、なんて人もいたんじゃないでしょうか。うちにはありませんでした。
安倍晴明って名前自体を知らない人は中々いないとは思いますが、どんな人かはそんなに知らないよなぁというのが殆どだと思います。そこで安倍晴明についてのなんか色々を書いていくので、適当に読んでください。
あと大戦には関係ない話しかしません。
大戦に関係ある話は次回書きます。
本当にすまない
最後に絶対に出るはずのなかった大戦へ陰陽師なんか出してくれたセガに感謝を!
※安倍晴明のカード及び歴史に関するネタバレを含みます。なんかこういうのって書いとかなきゃいけない気がするのでまぁ一応ね
1.安倍晴明(+周辺)像について
安倍晴明の父は安倍保名、母は信太の森の狐、小さい時に百鬼夜行を見ている所で賀茂忠行に目をつけられ陰陽師に……
というのが基本的な伝説の話。
現実的に見ると父は安倍益材、母は不明、師は賀茂保憲とされます。
伝説にもうちょっと寄ると
唐から吉備真備が書を持ち帰り、唐で世話になった阿倍仲麻呂の子孫である安倍晴明に伝えて、晴明が修行している時に蛇に導かれて龍宮に行って、龍宮で鳥の言葉がわかる薬を貰うと、なんやかんやで帝の病を治して認められ、蘆屋道満と術くらべを行って勝ったが、道満が書を盗み出して晴明は死んでしまい、伯道上人の力で蘇生し、道満は死ぬ羽目になった。
というのが三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集の話です。サンゴクソウデンインヨウカンカツホキナイデンキンウギョクトシュウ、覚えられるか?
多くの伝説がある安倍晴明ですが、その理由としては権威付けであったり、その長寿であったり(なんと85歳まで生きました!)、逆に後ろ盾の少なさがあったりが考えられます。
当時平安というのは光源氏でも語られているように、有力貴族との繋がりや血縁によってほとんど立場が決まってしまいます。
光源氏の母は帝の寵愛を受けていたものの、そこまで母が位の高い出身ではなかったり先に男児がいたことなどから、光源氏は皇族候補にはさせなかったり(母も病弱で死んでしまい、迂闊にさせても権力争いで酷い目にあったりしてしまうので)
光源氏は出世してもらいたいから左大臣の娘に婿入するものの、左大臣の娘にはなんで位の低い家のやつと…みたいに扱われたり(いや父親は帝やぞ?って思ったんだけどあんまり深く読んでないからよく分からないですね)
みたいなのが当世感です。
また当時は招婿婚という婿入りが普通の世の中なので、父親がそれなりの地位だった安倍晴明も母親の素性は「分かりません」というのは、なんらかの隠す意図があったのかもしれませんね。
2.陰陽師!安倍晴明!
そんな感じで陰陽師安倍晴明は誕生するわけですが…安倍晴明が言っている通り晴明は正式な陰陽師ではありません
「陰陽師」というのは陰陽寮に属する、陰陽頭・助に始まる幹部職、技術部門として実際に実施する博士と陰陽師で、晴明は厳密にはこの陰陽師ではないとされ、晴明は天文博士というのが通説でした。
(2020年出版の本にて、安倍晴明が陰陽師であったととれる記述があったみたいなんですが確認できていません。)
ついでに、賀茂保憲の息子の賀茂光栄は暦博士です。賀茂保憲が基本陰陽術を取り仕切っていたのですが、この代で暦・天文で分派しました。太っ腹ぁ!それだけの天分が晴明にはあったということでしょうね。
なぜ安倍晴明が陰陽師として認知されているかというと、もちろんお話として広まったのが今日の認識になりますが、元を辿っていくと陰陽師の仕事が一般の人にまでに広く広まったのが大きな理由のようです。
どういうことかというと、まず奈良時代に国教としての仏教が最盛期を迎えます。そこであわや宗教者に帝が譲位するかというようなところまでいってしまい、それはいけないよねというところから始まった二度の遷都、奈良には仏教寺院たちが残されたまま貴族たちは都を移します。
辿り着いたのは平安京、北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎が守る四神相応の地とされました。なんか山の方に鬼住み着いてっけどな!
そこでは陰陽師達により儀礼や祭事が執り行われ、次第に市政の人達の生活に陰陽師たちの認知が広がっていきましたが、広がるにつれて儀礼者の担当の割り振りの細分化が求められたり、役職よりも純粋に陰陽術の達者な物が貴族には求められ、また一般の人々にも儀礼等で自然に知られていくことで、今昔物語の中での安倍晴明は「天文博士の安倍晴明という陰陽師がいた」という形で語られるようになりました。
ここらへんで職業としての「陰陽師」と陰陽の達者なものとしての「陰陽師」が乖離したわけですね。
自然に知られていったと記載したのはその長寿のためです。そもそも晴明が「天文得業生」(得業生は言ってみれば特待生みたいなエリート…だけど学生)になったのは40歳(!)の時です。前述の天文博士になるのは60歳ごろで、晴明の言う通り遅咲きの人生と言っても過言ではないでしょう。
陰陽師の仕事は主に、日時方角などの吉凶判断、怪異病理土地の良し悪しの占いから始まり祭事や呪詛を解いたりありますが、平均寿命が40歳もいかないとされる平安時代に60歳過ぎた老人が吉凶や病理の占いに儀式の祭事を行うのですから傍から見れば陰陽の化身のように見えたのではないでしょうか
貴族だってこれだけ長寿な陰陽師がいるなら、絶対にコイツ信じた方が確実じゃんとなること請け合いです。今でいえば120歳の老人が健康の秘訣は青汁です…って言ってくれるようなものですからね、信じざるを得ません。延命祈禱してくれて本気(マジ)感謝(アザ)ッス……って感じですよこれは
追記12月26日
当時の平均寿命についての記載がありますが、数値自体は誤りではないものの、基本的には一般庶民の低い数値であったり幼児の死亡率などを考えれば過度に低い数値になってしまっています。
当時の貴族階級の平均没年齢を考えると、源頼光・頼信兄弟も70歳程度まで生きていますし、糖尿病の藤原道長も60歳あたりまで生きています。
当時大きな乱・戦が少なかったことなどもあり、特権階級では比較的高い寿命の水準が維持されていました。記事内容を強調させるためのミス・リードになっている疑いがあります。
またこれは邪推にもなりますが、あることないこと書くにしてもド貴族よりは陰陽師の人のほうが馴染みはありますし、ある程度融通も効くように思えます。
後世浮世絵では、徳川幕府によって決められた創作物に実在の人物を出すな!という決まりによってモジッた名前の武将たちを使うことになったりします。まぁ後ろ盾がある人たちには不敬ってことですよね。平の〇〇はこんな失敗をした、とか書いてどんな問題があるかは分からないですからね。
とこんなところが自分の解釈した晴明像です。いかがでしょうか、本筋みたいなところが出ていない?そうですね
でもそれ書いたらもう晴明の歴史本なんで厳しいですね。ごめんね。
・終わりに
これ出典とか書いたほうがいいのか?書いたとしたら後2冊くらい読まないと恥ずかしいんだけど
あと鬼の話とか書きたいんだけど
大戦の晴明の話も書いてないんだけど
そろそろ怒られるかもしれないね…
どーも!
陰陽師ブーム!ありましたな!
邦画のCMでよくある映画見た人にインタビューしている姿を写して絶賛放映中!というのはよく見ました。
陰陽師のポーズをとっていた女性の方が印象深かったです。
自分も野村萬斎さん好きで、そういえばこの映画のキャストって誰だったろうかと画像検索したら芦屋道満が真田広之で画像見ながらいろいろと映画を思い出した部分がありました。
自分の中ではかなり役柄がハマっていた俳優陣だった印象です。
1作目は晴明と道満の対決が印象深ったのですが、2作目は1作目よりもスケール大きいはずなのですが…。あまり覚えていない。
仮に3作目があったとしても安倍晴明は野村萬斎さん以外いないんじゃないかと思えるほどはまり役だと思っています。
これで大戦の方にも源博雅が追加されれば「陰陽師」の再現できそうですな。
長文失礼いたしましたm(__)m