808

歴史話:英傑の奥さま

by
王桃盗賊団
文士
文士
王桃盗賊団
どうも、王桃盗賊団の者です🍑



三国志や戦国の話を読んでいると、1人の人物に複数の奥さんがいる場合があります🤔

曹操の場合は正室に劉夫人丁夫人卞氏、側室に杜夫人王昭儀などがいて、パッと見では関係性が分かりづらいかもしれません🥺



一応この場合の関係性を説明すると、最初の奥さんが劉夫人で、息子には曹昂などがいました👍
しかし劉夫人は早くに亡くなってしまい、息子達の養育は次の正室である丁夫人が引き継ぎました

しかし嫡男の曹昂が若くして戦死してしまった事で丁夫人は悲嘆に暮れ、結果的に曹操と丁夫人は離縁❌
その後、当時側室であった卞氏が正室となり、曹操と彼女との間の子である曹丕が世子となりました

杜夫人は絶世の美女とされており曹林や金郷公主などの子を残してはいますが、嫡子の母ではないのであくまでも側室筆頭たる『夫人』止まりです🙄
また勘違いされがちですが、鄒氏は奥さんではありません






ともあれこんな感じで奥さん関係は、特に三国志だと結構複雑なんですが、そんな中で婚姻関係がものすごく分かりやすい三国の英傑が1人います😎

それが堅パパです

比較的早世しているという事もありますが、正史の基準のみを考えると彼の奥さんは呉夫人ただ1人です

早い段階で彼女との間に孫策/孫権/孫翊/孫匡と男子4人を設けた事と、当時の孫堅はまだ県丞という地方役人(現在の感覚で言うと副市長ぐらい)に過ぎなかった為、彼は多くの側室を娶る事はなかったようですね

一応孫堅の庶子と伝わる孫朗という人物もいますが、誰が母であるかは不明なので、史記の上での孫堅の奥さんは本当に呉夫人しかいないわけです✌️
なお、演義の方では呉夫人の妹である呉国太も姉と共に嫁いでいるとされますが、実は彼女は架空の人物とされています






なので、ねぇ?

呉夫人にも孫堅に対する特殊台詞があってもよかったんじゃないですかねぇ?

悲しみ🥺

今回は以上‼️
更新日時:2022/12/10 17:09
(作成日時:2022/12/10 00:13)
カテゴリ
雑談・雑感
コメント( 0 )
コメントするにはログインが必要です
シェア