どうも、王桃盗賊団の者です🍑
今回も
書く事がなくなった時の歴史話なんですが、このお話は私の
推測が多分に入ったお話ですのでご注意ください⚠️
今回の主役はこの人です👇🏻
王佐の才、
荀彧くんです🏹
今回の話はこの荀彧と
ある人物との不思議な縁に関してです
皆さんご存知の通り荀彧は
曹操の腹心なんですが、実は彼が曹操の下へと参じたのは191年の事です🤔
曹操が反董卓の為に挙兵したのは189年の事なので、旗揚げからは少し経ってから参加した人物なんですね
では189年頃の荀彧はどうしていたかというと、実は
守宮令という役人をしていました🖌
しかし反董卓の動きが大きくなると戦乱を予感し、官職を辞して故郷の
穎川へと戻っています
後に荀彧は
韓馥の誘いを受けて
袁紹の下へと一時身を寄せた為に、直後穎川を襲った
李傕軍の被害は受けずに済みました👌
しかし荀彧は袁紹では大業を成せないと判断し、結局曹操の下へ参じた…とまぁこういった流れで曹操軍に入ったわけです
で、今回気になるのはこの
189年頃に穎川にいたという点です🤔
というのも、実はこの頃に荀彧と同じく
ある人物が穎川へと戻って来ているのです
それは夫を董卓の懐刀
李儒によって殺害され、若くして未亡人となってしまっていた姫…
そう、先帝たる
少帝弁の妃・
唐姫です👇🏻
三国志大戦でも大人気のこの
いおりん唐姫ですが、彼女は少帝亡き後も再婚を拒み続けたという
誇り高き愛の人です✨
彼女は夫の死後、しばらくは故郷の穎川に留まっていたとされます
で、そんな
荀彧と
唐姫なんですが、この2人に直接的な面識があったのかどうかという記載は、史記には一切ありません❌
しかし…これは私の
超個人的な妄想ですが、この2人はお互いに
面識があったと思っています
勿論、その理由は『同時期に穎川にいた』というだけではありません😎
まず、荀彧の妻は
唐衡という宦官の養女なんですが、この唐衡は苗字からも明らかな通り
唐姫の親戚なので、実は2人は
縁戚関係だったりします
そして荀彧は李傕の軍勢が穎川に迫っていると知ると地元の古老らを逃げるよう説得したものの、彼らは故郷を捨てるのを渋ったという逸話があります🤔
この際、唐姫の父であり会稽太守という地位にいた
唐瑁の下を荀彧が訪れた可能性は非常に高く、そこで2人が出会っている可能性もあるでしょう👍
荀彧は後に曹操の下へ身を寄せたわけですが、曹操が献帝を庇護して
大将軍に任命されると、荀彧は
侍中という皇帝の側近の地位を手に入れました✨
これ以降荀彧は献帝の傍に仕えて行政を執り仕切ったわけですが、ここまでの信頼を得た要因に
先帝の妃である唐姫とのコネがあったと見るのは邪推でしょうか?🥴
実際、時期は不明ではあるものの、唐姫は後に献帝に招かれて共に園中で暮らしたとされています👍
という事は、侍中である荀彧と再会している可能性も高いですね
そう考えるとこの2人、一見全く接点がないように見えて実は
かなりの仲良しだったりするかもしれませんね🤗
…まぁ要するに何が言いたいかといいますと
英傑大戦への唐姫の登場期待していますという事です😇
漢軍、即ち
紫陣営の追加はだいぶ後になるかとは思いますが、実装された暁には是非ともこのクロサワテツさんの絵でお願いしたいです🙇♀️
というわけで、今回は以上‼️
荀彧ですが荀家が名家であったり、曹操配下の数少ない高名な儒家の人間なので侍中になるのに唐姫のコネが必要なほどの人物ではないと思います。儒学者達を黙らせてかつ帝の近くに有能な人間を置けることから曹操も有利になりますし、帝側からしても儒者を侍中にすることで生活の大きな変化を受けにくいと両方の面からも納得の人選だと思います。
唐姫が帝に招かれたのは賈詡の進言からだったりするので荀彧と唐姫に面識はあっても仲良しだったかは不明ですね。
三国志時代は親戚間の繋がりが非常に強かったので親戚関係だった二人が親しかった可能性もありますが、儒家の荀彧が唐姫を真っ先に助けなかったことからもそこまで親しい関係では無かったと私は考えています。
唐姫の英傑大戦での実装ですがかなり遅くなるんじゃないかと思います。
まだ新三国志大戦も稼働していますし、新三国志大戦の絵で英傑に実装している武将は旧三国志大戦の絵師が使えないパターンだと思っているので新三国志大戦のプレイヤーを奪わない為にも新三国志大戦のキャラでの実装は新三国志大戦稼働終了後になると思います。
まぁ、唐姫ぐらいの人気キャラなら新三国志大戦終了前に実装されてもおかしくはないですが
>マスターさん
人物で言うと唐姫はぶっちゃけマイナーですので、旦那共々登場しない可能性すらあるという悲しみ🥺
以前にお話しした董白に然り、大戦シリーズはマイナーな人物(特に女性)の知名度を大きく上げた作品であるように思いますね