内藤昌秀です。
今日5月21日は長篠合戦で有名な武将達が戦死した日ですね。
いつも通り私は内藤昌秀にピックアップして話を進めて行きます。
こんな伝承があります。
長篠合戦において内藤昌秀は家族に何も残してやれないのは何とも忍びない、そう思い武田勝頼にある物を託しました。
この旗を形見として渡して欲しいと勝頼に託しました。
長篠合戦の結果は勿論分かってますので省きます。
内藤昌秀も戦死します、私の事ではないですよ。
甲斐に帰陣した勝頼は内藤家に赴き、家族に旗を渡しました。
その時勝頼はそれだけだと申し訳ないと思ったのか自分の鎧も渡しました。
その鎧がこれだと伝わっています。
内藤昌秀、家族思いだったのかなぁ・・・?
そうだと非常にいいですね(^ω^)
美味しいです(^ω^)
これは伝承なのでどこまで本当なのか分からないですが、事実だったらいいなぁ・・・。
私はこの伝承を5年前に知りました。
英傑大戦の内藤昌秀も描いておきました、旗を持たせてますが見えないですね、私ってアホや。
創作戦国でも内藤昌秀と妻を描きました。
妻の出典は穴原内藤一族の由緒書きです。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40494001
動画も投稿したので是非ご覧になってください。
内藤昌秀は馬防柵を全て突破したと言われてます。
最期は全身に矢が刺さって死んだとも(鎧に立つ矢は蓑の如く)。
朝比奈泰勝に討ち取られたとも。
群馬にこんな伝承があります。
大熊備前(大戦にいる大熊のことかな?)が内藤昌秀の介錯をして首を群馬まで持ち帰ったという。
内藤塚にワンチャン頭蓋があるのではと私は思ってます。
伝承だらけの記事になりましたが、頭の片隅に入れていただけたら幸いです。
ではでは。