どうも、王桃盗賊団の者です🍑
さて…暇なので少々
歴史話でもしましょうか😎
先日、同僚との何気ない会話の中で
頼朝と家康が似ているという話になりました


まぁどちらも幕府の創設者であるという点は当然の事、論点となったのはその
人柄や
経歴に関する共通項の多さです🧐
そもそも、家康の出身たる
松平氏は
清和源氏新田氏支流を称しているので思いっきり
源氏です☝️
新田と足利はどちらも
源義国を祖としていますが、この義国は頼朝の曽祖父である
義親の弟に当たり、新田to松平ラインが真実だとするなら割と血縁も明確であると言えますね
そんな近しい2人の類似点、その1つ目は
前史です🤔
頼朝が歴史の表舞台に登場するまで、武家社会の頂点はご存知
平氏でした👑
一方の家康も
織田→豊臣の系譜から天下を奪ったわけですが、信長と秀吉は共に
平氏を自称しています(信長は
藤原からの改姓、秀吉は婿入りした木下家の系譜から)
つまり、この両者はどちらも
平氏を倒して幕府を立てた源氏という点で共通しています👍
ちなみに同じく幕府創設者であり、先述の通り源氏である
尊氏も平氏の
北条を倒した事が雄飛のきっかけとなっている為、決戦後すぐ幕府創設に至った両者とは少し違うものの似ていますね
2つ目の共通点は
征夷大将軍就任の流れです🧐
これは以前お話しした通り、両者と尊氏とで毛色が違います
頼朝は
奥州藤原氏、家康は
豊臣家を仮想敵=
夷と考えて征夷大将軍を名乗っており、どちらも就任後はそれぞれの敵を排斥する動きをしております💪
一方で尊氏の場合は
後醍醐天皇をはじめとする
南朝を仮想敵としており、仮にも正式な天皇である後醍醐天皇を夷(蛮族の意味を含む)と呼ぶのは大変な事態です🤯
話を戻して、2人の…というか2人が作ったそれぞれの
幕府の共通点になりますが、それは
天皇家絡みで終わるという点です🙄
これまた以前お話しした通り、鎌倉幕府は
建武の新政と呼ばれる後醍醐天皇の介入から
北条排斥の流れとなって終演し、江戸幕府は皆さんご存知
大政奉還によって朝廷に権力を返還した事で終わりました


強引に終わらせられたか自ら終わらせたかという違いはあるものの、どちらも最終的に
後醍醐・明治両天皇への政権移譲に伴う解体という点では同じですね
一方で
足利将軍家はというと…なんか
尾張の変なヤツにボコされて滅びました😇
まぁ信長としては
正親町天皇の為に動いたという大義名分こそあるものの、しかし天皇自身に権勢が戻ったとは言い難いですね
これ以外に鎌倉・江戸両幕府の近しい点を挙げるならば関東を拠点とした地方政権の体を成している点や、
荘園公領制・幕藩体制という新たな支配体制を築いた点が挙げられます✋
総じて言えば、鎌倉幕府と江戸幕府は共に
平氏を倒した後、外敵を倒す名目で就任した征夷大将軍によって成立し、天皇によって滅んだ、新体制の地方密着型武家政権という共通点があると言えますね
んじゃ
室町幕府はどうなん?と言うと…
✔️:平氏は倒したけど、それは要素として小さい
✔️:天皇を倒すというトンデモな名目で征夷大将軍就任
✔️:天皇家のバックがあったとはいえ、ただの大名に滅ぼされる
✔️:拠点は思いっきり京都
✔️:支配体制は荘園公領制の大筋を継承していて新しくない
とまぁ…そうですね🥴
つまり結論、
尊氏はおかしいんです💥

逃げ若をはじめ色々な場所で言われていますが、3人の創設者およびその幕府を並べて比較した場合に
尊氏・室町幕府だけが異端となる事がすごく多いんですね🙄
ただ、室町時代は異端だからこそ
奇妙な革新が起きた時代でもあります👌
例えば
高師直や
小笠原貞宗が整理した武士文化の体系は、それまで野蛮な気質も強かった武士達に
武士道精神を植え付けるきっかけともなりました✌️
また室町幕府成立以降は建武の新政を反面教師としてか、京都を拠点としながら
天皇家の支配影響から脱し、武士という身分そのものを確固たる物にしています
そういう意味で言うと尊氏から始まる南北朝時代、および義満から始まる室町時代は
特異なれど重要な時代だったと言えますね😎
というわけで、頼朝・家康の共通項の多さから見る尊氏の異端さについてでした🙇♀️
実は日本史を勉強するに当たって、似た点が多い鎌倉・江戸の間に異端な室町が挟まっているのが結構な障壁になっていたりします💦
3つの幕府、そしてその創設者を比較してみる…というのは勉強方法としても有用ではないかと、私はここに提唱致します👍
今回は以上‼️