弓腰姫とか梟姫とか色々と呼び名がある孫尚香が90人目の絆武将です
劉備との年齢差が30歳近かったなんて話があります
この孫尚香という呼び方自体は後々に付けられたもので京劇などで出てくる時の名前です
孫夫人とか孫仁とか呼ばれたり、変わったところでは日本の人形劇三国志では貞姫と名付けられてたりします
ぶっちゃけた話、史実だと名前すら残ってません
三国志大戦シリーズだと弓腰姫の二つ名で知られてます
しかしこれは吉川三国志で創作した二つ名で日本でしか通用しない呼び名だったりするせいか、英傑大戦では梟姫の二つ名が計略で使われてます
そんな孫尚香の気になる計略台詞は
通常武将
「私の弓、満更でもないでしょう!」
絆武将
「私が大徳への架け橋となる!」
劉備と孫権の仲を取り持つ架け橋にはあまりなってないよなぁ
手を切って裏切る前提の一時的な同盟を架け橋と言うならそうかもしれんけど
<キャンペーン後半3人の伏兵台詞の話>
時間がなくてやってなかったのでやりました
息姫
「見ないで下さい…」
三浦義村
「誰が馬鹿だって?」
松平容保
「策を用いるな、前に出よ!」
息姫の台詞は蔡の哀侯がその美貌を強引に見る無礼を働いた時のエピソードからと思われます
<今日の旗>
弓矢を構える2人の旗
90人目の絆武将は孫尚香の話でした
孫尚香の絆台詞は「大徳との架け橋」じゃなくて「大徳への架け橋」なので蜀の一員としての台詞でしょうね。
まぁ、蜀呉同盟の架け橋をブッ壊したのは義弟の関羽ですが...
超♂兄貴さんお疲れ様です。
劉備さんは孫夫人のお父さんの孫堅さん・曹操さんと同年代なので30といかないまでも親子ほどの歳の差があったんじゃないかと。(みたことないので分かりませんが…)
俗説では夷陵の戦いで元旦那の劉備さんがお亡くなりになったと早合点して長江に身を投げた、とあったり歳の離れた仲良し夫婦の逸話もありますね。(これも以下略)
正史だったか創作だったか忘れましたが借りパクで揉めた荊州割譲問題で孫権兄さんに呉国に帰るよう言われて、その際に義理の息子の劉禅さんを連れて帰ろうとしたら趙雲さんに防がれた、との記述がありますが…。(その当時は趙雲さん南郡にいたんじゃなかったのかな…記憶が…)もし連れて帰ってたら蜀漢もまた違う命運があったかも…とか妄想が捗ります。あ、私は祝融さん派です。🐘…。
マスターさん
あぁ、関銀屏の話で拗れたんでしたね
孫尚香の劉禅拉致未遂の方が頭にあって忘れてました
八兵衛さん
祝融は捕縛戦法使う誘拐犯のイメージが一番強いです
銀屏嫁入り拒否&孫一族を犬発言もありますが、普通に荊州借りパク事件ですね。
劉備は返すと言っているのに関羽が返さなかったんでね、もしかしたら劉備や諸葛亮の入れ知恵だったかも知れませんがあの時点では蜀が呉を裏切る理由が無かったんで