皆様ごきげんよう、ユズリハです。夏の熱さが本格的になりましたが、いかがお過ごしでしょうか?私は、従三位と正三位をエンドレスループしております。
さて、今回はタイトルの通り英傑たちの意外な関係(個人的主観)をサクッと紹介していこうと思います。
1.
渡辺綱と
渡辺通
実は、渡辺通のご先祖様は渡辺綱。嵯峨源氏の伝統で代々一字名を名乗っている。因み、渡辺綱の正式な名のりは
源綱(みなもとの つな)。
2.
佐久間象山と
斎藤朝信
佐久間象山は自称、斎藤朝信の子孫らしい。このことは、お祖父さんの長谷川善員が斎藤仁左衛門の次男で、この斎藤家は越後の上杉家に仕えていた斎藤朝信を祖としており、象山は朝信から数えて7代目の孫と象山の書状に書いてあるらしい。(実は自分は桓武平氏であり、桓武天皇の曾孫の末裔に佐久間家村がおり、その子孫が
織田信長に仕えた佐久間盛政であり、自分はその子孫であると自身が書いた本に書いてある。
本当か?)
3
.前田慶次と
滝川一益
実は縁戚関係だったりする。前田慶次の実父は滝川家の一族であり、病弱で子供のいなかった前田利久の養子になった。しかし、いろいろあって利久は隠居させられ、弟の
利家が前田家を継いだため慶次が前田家当主になることはなかった。話は戻り、慶次は一益の従兄弟あるいは甥、中には弟とする説がある。
4.
高杉晋作と
勝海舟
29歳で亡くなるまでに激動の時代を「おもしろきこともなき世におもしろく」した高杉晋作。
そんな彼を勝海舟は「年は若し、時が時だったから、充分器量を出さずにしまったが、なかなか活気の強かった男さ」と評している。
5.
藤原頼長と
源頼賢
♂×♂。普段は頼長が攻めていたらしいが、ある時、頼賢に逆に攻められて嬉しかったと自身の日記に書いてある。
~あとがき~
いかがでしたでしょうか?ネタを探して調べていくうちにどんどん沼にはまってしまいそうでしたw
次回は夏らしく、英傑たちに関する怖い話でも書いていこうと思います。それでは良い大戦ライフを~。
頼賢の鞭ってそういう…?
〉tetukyojin1さん
源氏伝では誰とも被らない武器ということで鞭が選ばれてましたが、真相は果たして…