萩藩だ!……というかと思いきや、今回は松代藩です!
松代藩と言えば真田ですが、此処で重要な幕末人物と言えば!!
松代藩士、思想家である佐久間象山先生です!
朱子学、儒学、蘭学、さまざまな学術知識を持っていた、吉田松陰先生のお師匠様ですね。
兵学者としての地位を得て、象山先生が江戸で開いていた塾には吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟等が入塾していました。
松陰が下田での密航計画を企てて失敗した折には、その企ての相談を受けていたとして連座で伝馬町牢屋敷に入獄、その後松代で蟄居、この蟄居の後幕府の招きで京都に赴き、その地で河上彦斎により暗殺されます。京都には暗殺地の碑もありますが、そちらはいつか書く気がする京都回にて!
象山先生はとても自信家で非常に癖の強い人物だったようですが、癖の強さは門弟である松陰先生も負けてはいないので、色々な意味で最強の師弟です。
さて、ここから史跡旅です。
最初は象山神社。勿論御祭神は佐久間象山です。
躍動的な象山先生の像が入り口前にあります。結構大きめ。
鳥居からまっすぐ見える場所に社殿がある景色というのは良いですね。まっすぐ一直線、好きです。
このまっすぐ一直線の参道には左側にそれる道があり、そこには象山先生の誕生の地があります。
生まれてから29年間此処に住んでいたそう。
誕生地の碑もあります。
誕生地の端には小さな建物があります。これは象山先生が京都に滞在している間の2か月間を過ごした住居にあった茶室でした。
鴨川、八坂の塔が見える最高のロケーションの家だったようで、象山先生自ら煙雨楼と名付けています。
眺めの良い家とは、羨ましい限りです。
この茶室は京都にあったものを解体後、その後煙雨亭と名付けられてゆかりのこの地に移築されました。
本殿右側には高義邸と呼ばれる建物があります。
これは象山先生が松代で蟄居してる折、来客があった際に使用していた建物を移築したものです。
この建物の二階で来客に会い、高杉晋作、久坂玄瑞、中岡慎太郎等が訪れています。
境内には象山先生ゆかりの人物の像が並んでいます。大戦勢を抜粋してご紹介します。
佐久間象山。
吉田松陰。
坂本龍馬。
久坂玄瑞・高杉晋作・中岡慎太郎。
カードも並べて撮りました。
お次は象山先生の佐久間象山蟄居の地です。
最初ただの駐車場かと思った……ちゃんと看板がありました!通り過ぎそうでした。
象山先生は松代藩家老望月主水貫恕の下屋敷に蟄居していました。先程の高義亭も望月さんの下屋敷にあったものでした。
蟄居している間に省諐録(せいけんろく)と言う本を書いているのですが、先生たち皆獄中、蟄居中に本を書くんだなー。
蟄居の地から少し歩くと象山先生の墓所がある蓮乗寺があります。
入り口から入って右手すぐに広めの敷地を取ってありました。綺麗に手入れされている墓所でした。
松代藩の藩校である文武学校もあります。隣には真田邸があり、松代城も近くてこの界隈は江戸の雰囲気があって心地が良いです。
松代藩文武学校の裏にある象山先生の像。それなりに存在感がある。この地にある象山先生像、皆大きめ。
真田十万石の中心である松代城。
土塁、櫓、太鼓門、外堀が残る城跡です。真田が詳しくないのであまり説明が出来ない……。
そして城からは離れているのですが、歩ける範囲にはある松代藩鐘楼。
此処は佐久間象山が日本初の電信実験を成功させた場所として、「日本電信発祥地碑」があります。
象山先生はこの実験で“サクマシュリ”という文字を電線を通して送ったそうです。
この実験の内容は象山神社の近くにある象山記念館で解説されています。
子供向けの本を買いましたが、結構詳しくて面白いです。
象山先生に関する資料や展示が沢山あるので、良ければ見てみてください!
松代から少し離れたところにある川中島古戦場跡(武田信玄と上杉謙信の戦跡です。向かい合い戦う二人の像があります)にも象山先生の像がありますが、陽が落ちてしまった為この日は行けず……またいつか!
松代藩に関してはほぼ初心者のため、説明が少なくなってしまいました……。
知らないながらも、やはり史跡を歩くのはとても楽しいですね!
以上、ぴよ幕末史跡旅in信濃~松代〜でした!