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ぴよ幕末史跡旅in長州~防府〜

by
栗花落
栗花落
萩藩だ!長州藩だ!!山口は最高だ!!(二回目)


次はうたちゃんと言いましたが、うたちゃんの論文で気になるものを見つけてしまったので、うたちゃんはそれを読んでから書くことにしました。
と言う事で、今回は防府の史跡旅です!
今回は長めです。間違いもあるかと思いますのでぬるく、ふんわり読んで頂くのが最適……。


でははじめていきます。

防府市と言えば防府天満宮と毛利邸(毛利博物館)!
此処には周防国分寺とか国指定史跡の国衙跡とかもあるのですが、この辺りは幕末ではなく奈良平安とかその辺りなので今回は保留で。
実際毛利邸も明治になってからの建物なので、幕末からは外れてしまうのですがまあ……防府の近代観光地の一つとして許して欲しい。

と言う事で、毛利邸です。
明治維新後に毛利家当主の毛利元昭公が建てた邸宅と庭、邸宅の横には毛利家祖霊社(萩→東京→防府に移転。東京にあった時の旧殿は浅草の華藏院本殿として残っています)と毛利家絵画堂(毛利元就木像および毛利元就以下歴代肖像画が)があります。


元就公が郡山城の拡張の際の埋めた礎石に彫られていた「百万一心(一日一力一心)」の拓本の掛け軸がかかってます。
拓本の碑とか掛け軸とかはあちらの史跡を回っているとチラホラ見かけます。

先日紹介した四辻の大村益次郎像の隣にも実は百万一心碑がありました。

右側の石です。

脱線しましたが、毛利邸を外から撮った写真です。




お庭も広くて四季折々の花が咲くのでいつ行っても綺麗なところです。

現状の英傑大戦に関連があるとすれば、此方ではなく横にある毛利博物館の方かと思います。
こちらは毛利元就公の肖像画や自筆の三子教訓状、その他代々毛利家の文化財等を所有しており企画展示の機会があればそれらを見ることが出来ます。
国宝である雪舟の四季山水図も所蔵している為、もし雪舟が実装されたら国宝展示期間には是非訪れて欲しいところです。
英傑くん、平賀源内も歌川広重も杉田玄白も実装したので雪舟が来てもおかしくない気がする。雪舟が来たら是非島根県益田市も行ってね!

私は戦国大戦の時に毛利輝元公の眼鏡を見に行きました。「てるちゃんの眼鏡!!」ってテンション爆上がりでした。
英傑大戦は早くてるちゃん実装して。

お次は防府天満宮。



鳥居の両脇の狛犬は萩の石工の作でそのまま直球で萩狛犬と言われています。
もっとなんかない?って思いますが、実際わかりやすいのが一番ですよね。




勿論御祭神は菅原道真公、日本で最初に創建された天神さまです。
高杉晋作も天神さまを信仰していた一人でした。

此処の歴史館の宝物も期間ごとに企画展示があるので目当ての展示があったら行ってみると面白いかと!
防府天満宮関連の幕末書籍も販売しているのでそちらも是非。

私が行った時は桂小五郎=木戸孝允くんだったんですよ!


最高でしたよ!亡くなる直前の報告の電報とか……貴重なものをみられました。もう一回行きたい……。


先に宝物館の紹介をしてしまいましたが、社殿に上がる前の階段のわきに大専坊跡があります。
此処は来島又兵衛の遊撃隊の屯所となった場所でした。
高杉は京へ行こうとする来島を止める役割で此処へ赴いたのですが、なんやかんや激論の末自分が脱藩。
萩へ帰郷後は脱藩の罪で野山獄へ投獄……その間に禁門の変が起きて久坂玄瑞、来島又兵衛が亡くなります。
野山獄、松陰先生もいたところですね。
高杉が『投獄文記』で「先生を 慕うてようやく 野山獄」と詠んだ場所です。ここはまた萩回の時にご紹介します。

そして大専坊跡の向かいには暁天楼があります。


宮市にあった旅館藤村屋の一部の復元で、二階が隠れ座敷となっています。
元の建物は高杉、桂、坂本等の志士たちが出入りしていたそう。



この防府天満宮の境内には野村望東尼の胸像、高杉晋作と野村望東尼の句碑があります。



「面白きこともなき世を面白く」(東行)
「すみなすものは心なりけり」(望東尼)


あと春風楼って建物があるんですが、この前で伊藤俊輔くんが写真を撮ったらしいんですが、そうなの??



こちらは防府天満宮内にある楫取素彦と美和子(杉文)の像です。
大戦に文ちゃんいるから良いよね!!?
英傑大戦では現在未実装ですが、恐らく今後出てくるであろう楫取素彦……夫である久坂玄瑞が禁門の変で亡くなり未亡人となった文が、19年後に再婚した相手です。妻だった杉寿は松陰先生の妹で文の姉です。
実装された暁には久坂くんと楫取さんと文ちゃんを一緒のデッキに入れられますよ。そうだ!松陰先生も入れよう!


防府は楫取夫妻が晩年に過ごした土地で、萩往還沿いに二人終焉の地の名残として小さな空き地があり、その壁面には楫取邸の見取り図もかけられています。
お二人の墓所も防府市の大楽寺にあります。



ちなみに萩往還は萩と三田尻港をほぼ直線で結ぶ全長約53kmの街道で参勤交代の御成道でもありました。
今でも歩くことができ、萩往還ウォーキングとかのイベントもやっているようです。
そんなに歩ける気がしない……。



そしてここは野村望東尼終焉の地。
この方も激動の人生を送り、防府で亡くなり防府市内に墓所もあるのですが、私があまり詳しくなく……すみません。
どうも防府市内に終焉の地と旧宅地と宅跡があるようで……おそらく宅跡の前は通ったのですが、あたりが暗くてもうなにも見えなかったのでまた今度行きます。

同じ理由で山田顕義、品川弥二郎が組織した御楯隊の調練場跡地にある防府市護国神社も行けていません。
どうも山の少し上にあるらしく、防犯を考えても真昼間に行くのが良いのかなあと思っています。あと他の方の写真を見た限り、確実に蜂がいるのでいない時期に行きたいですね!

上の二箇所はまた次回です!



ここは三田尻御舟倉跡。萩藩毛利水軍の本拠地です。
功山寺で挙兵した高杉が決死隊を率いて軍艦を奪取しにきた場所が、ここにあった海軍局です。
やることが凄い……高杉くん……。






御船倉跡に続く水路。こう言う雰囲気最高ですね!

御船倉の近くには三田尻御茶屋があります。






ここは萩藩主の宿泊休憩、迎賓の為に建てられたものです。建築当初は豪華だったみたいなのですが、藩の財政が悪く大分倹約して敬親様の代に今と同じくらいの規模になったそう。
幕末は八月十八日の政変で逃れてきた公家七人が此処に滞在していたとのことで、住み心地が気になりますが、藩主様のいるところだからきっと居心地は悪くないはず……。



この小烏神社は薩長連合全軍が倒幕の必勝祈願をしたところです。山田くんもその中にいました。
……薩長連合わからない……私のわかる範囲は先生が無くなって晋作が挙兵する前くらいまでなのです……推しER桂小五郎くんの晴れ舞台の薩長同盟だと思うんですが……うむ……。
横にある松原も連合軍が集った場所として説明看板が立てられています。



取り敢えず私は詳しくないのでわからないけど行ったよ!って場所です。

そしておまけの三哲文庫記念公園(元防府図書館跡地)。





幕末史跡ではないのですが、ここにかつてあった図書館は資金提供した方が尊敬していた吉田松陰、乃木希典、品川弥二郎を三哲として三哲文庫と名付けられていたそうです。
初めて見た時に、ヤジ……?ヤジ……??って思ってしまったのは内緒です。
大戦のヤジはあんな感じで可愛いのですが、色々な役職を歴任していた方で民間大学の創立もしていて東京の九段下には大きい像があります。
個人的には地味な印象がありますが、ヤジも明治の歴史の中では重要な人物でした。


ぴよ幕末史跡旅in長州~防府~編、以上で〆となります。
次回は何処にしようかなー!沢山あるので悩みますね。
では、良き大戦ライフを!
更新日時:2023/06/07 20:25
(作成日時:2023/06/07 13:31)
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