どうも、王桃盗賊団の者です🍑
さてそろそろ受験シーズンとなるわけですが、今日は
学問に関する歴史話です😎
テーマとなるのは、中国と日本の文化に強い影響を及ぼした
儒学についてですね
最近の英傑大戦では
盗跖の相方として時々姿を見る
孔子ですが、儒教は彼が創始した思想です👍
何やら古い思想体系という事で難解なイメージがあるかもしれませんが、意外にも儒教の根本的な考え方は非常に簡潔で、それは
三綱五常という言葉で表現されます😎
三綱とは
君臣・親子・夫婦という3つの絆を重要視する考え方で、つまりは主君への忠義と部下への恩賞、親孝行や夫婦仲を大切にせよという教えですね👌
そして五常とは
仁義礼智信という5つの道徳心を大事にせよという教えです
孔子が生きた春秋時代は周王朝の権威が弱体化して実力主義となっていった戦乱の時代であり、王よりも諸侯(公)の発言力が高まっていた時代です🤔
そんな世の中で
「もっと秩序と仁徳のある政治をしようよ」という意図で形成されたのがこの儒教である、というワケですね
しかしこの思想は当初あまり広がらず、
始皇帝に至っては厳格な法の力を以て政治を行うべく
焚書坑儒を行い、文字通り
書を焼いて儒家を穴埋めにするというとんでもない思想弾圧を行いました😈
その後に秦は滅んで楚漢戦争が始まり、今度は
劉邦が皇帝となりますが、彼も彼で
「全部自然のなりゆきに任せればよくね?」という
黄老思想を掲げた為、またもや儒教がメジャーになる事はありませんでした💦
儒教が本格的にメジャーとなったのは漢の第7代
武帝の時で、この頃に
五経博士という儒教の教育・学習を専門とする官職ができた事で儒教が
官学・国学となります👑
この前漢末頃の文化の影響を強く受けた朝鮮地域は現代まで儒教思想が根付いていましたし、儒教・道教・仏教が混成された唐の文化を吸収した日本にも一部思想が受け継がれています
…とまぁざっと儒教の初期に関する歴史を見てきましたが、本題は
三国時代における儒教です🧐
お話しした通り三国時代は儒教が官学化した後の事であり、つまり
官僚になる為には儒教を学ぶ事が必須という環境でした🙄
よって
袁家/周家など代々官僚を排出してきた家系の人物は皆儒教を学んでいるのです
なお
曹操は当初儒学者を多く採用していたものの、官渡の戦い以降は長期化した戦乱の影響からか
始皇帝と同じ実力主義的な登用を多く行っており、これが儒家出身である
荀彧とのわだかまりになったという話があります🤔
では、そんな儒教絡みが激しい漢・魏などに対して
蜀漢はどうだったのでしょうか🔎
丞相
諸葛亮は多くの官僚を輩出してきた名家出身ではあるのですが、蜀=
益州は儒教が浸透しきっていない地域でした🥴
なので思想に囚われない自由な政治をする事ができ、諸葛亮自身は儒学を治めた身でありながら信賞必罰の法治国家を作る事ができたわけです
なお、街亭にて大敗した
馬謖が斬られた理由も信賞必罰を徹底しようとした為です🥺
馬謖自身は傲慢でこそあったものの諸葛亮に反発していたわけではなく、むしろその仲は父子の如くとされており、
忠を以て仕えた臣下に対して主君は徳を以て接すべしとする儒教的な思想に鑑みると斬るのは過剰な罰であると言えます☠️
しかしそれでも法に則り断罪を行ったわけですから、諸葛亮にも葛藤はあった事でしょう
えー、というわけで…
急転直下、
ネタデッキのお時間です🤪
はい、
孔子と
諸葛亮を並べてみただけのデッキですね✌️
諸葛亮の計略使用後は軽い士気の号令や兵種アクション強化系の計略を重ねるのが多いと思いますが、そこで兵種流派の
孔子を掛ける事で兵種アクションダメージを増やす…という算段です😎
フルコンにしてはあまり武力差が付かないものの、戦闘参加率の高い弓兵と手数が多い槍兵をしっかり扱えれば相当の火力が出るでしょう💪
是非お試しください
というわけで、儒教の話でした🙇♀️
今回は以上‼️