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ぴよ幕末史跡旅in江戸~吉田松陰関連神社~

by
栗花落
栗花落
今回もタイトルからしてもう萩藩ではない場所ですね!

けど萩藩だ!!!萩藩なんですよ!!東京都ですけど!



皆で萩藩……長州藩史跡に行こう!


大戦組の記事とかTwitterとかを見ていると、大戦が切っ掛けで色々史跡巡りをしている方がいてとっても楽しくなりますね!!
かく言う私も「史跡楽しいよ、大戦で興味を持ったら是非行ってみて!」と思って一連の史跡旅を書いてます。

私にとって大戦シリーズと史跡旅は地続きにあって、切っても切れないものなのです。

それに大戦で少しでも興味を持った他の人が史跡旅を行きやすくなれば最高なので!場所がわからない……とかでしたら聞いて頂ければお答えできた方が良いですしね。


とにかく私は長州藩の史跡に行って欲しい!!の一心ですw


さて、今回は江戸(東京都)、松陰先生をお祀りしている神社二社+合祀一社に参ります!
江戸松陰先生史跡を一括で……と思いましたが、伝馬町と小塚原はなんとなく別区分にしたくて別にしました。


さて、やはり一番初めは世田谷にある松陰神社!
御祭神は勿論吉田寅次郎藤原矩方命。神社自体の創建は明治十五年十一月二十一日です。

安政六年に江戸で処刑された松陰先生の亡骸を、四年後の文久三年に高杉晋作等の弟子たちが回向院から改葬しこの場所に移しました。
その後明治に入り、同じく門下生がこの墓所の近くに松陰先生を祀る社を立てたのが始まりです。


最寄り駅は東急電鉄世田谷線、松陰神社前。


駅名から「松陰」ってついてるのなんかテンション上がりますね!

松陰神社駅で降りて、松陰神社に向かう道は商店街になっており、松陰先生のおせんべいとか松陰饅頭とかなんかそういう先生の名前が付いたお土産を買えます。



鳥居と参道です。私が行った時は雨でした。晴れたときにまた行きたい……。
松陰神社内にある掲示板には毎月松陰先生のお言葉が掲げられています。

初詣時期だったんで、うさぎと一緒に小五郎くんを撮りました。



先生のブロンズ像と先生も撮りました。


松陰神社の境内には松陰先生の五十年祭の折に寄進された石灯籠が並んでいます。
神社にある石灯籠ってとっても面白いんですよ。
先日上げたうたちゃん記事の人丸神社にあった燈篭にあった長井時泰さんの名前と同じで、燈篭には何年に誰が寄進したというのがちゃんと書かれていて、そこの神社とのその人物との由縁を知ることが出来ます。
扁額、鳥居、水盤、狛犬等、神社内にあるものには様々な人との繋がりの歴史があるのです。


『正二位大勲位公爵伊藤博文』
『正二位大勲位侯爵井上馨』
『○○〇○○○○侯爵木戸孝正(写真で読めない……)』桂小五郎(木戸孝允)は明治十年には亡くなっており、明治四十一年にあった先生の五十年祭にはいません……その為これは孝允の娘と結婚し木戸家を継承した木戸孝正の寄進ですが、折角なので。

俊輔も聞多も最終的には従一位だった気がするんだけど、その辺はあんまりよくわからないです。
山県くんとかのも有ったんですが、写真撮ってなかったです!





神社内には萩の松下村塾を模した松下村塾(表現が変……)があります。

お、此処にも先生が!



御本殿。



正月過ぎてたからポールだけ置いてある。雨だったし。



神社の奥には松陰先生の墓所があります。
墓所の目の前にある鳥居は、禁門の変の折に幕府によって壊された墓所を修復した際に木戸孝允が寄進した鳥居です。墓所内には幕府が寄進した水盤と石燈籠二基もあります。



木戸さんちも大江だったんだな……?毛利も長井も木戸も皆遠い遠い遠い親戚だね。

さっきの石燈籠でなんとなくわかると思いますが、私本当にこういう所に書かれている名前を見るのが大好きで、知っている人の名前があると感動します。
この人が!此処にこれを!?とか、扁額は由縁のある人が書いた文字だったりするので、見るのが楽しいです。
木戸さんのこの鳥居、延々と見てました。後ろは松陰先生の墓所なのでカットしてあります。

ちなみに松陰神社の隣には長州藩士として第二次長州征討と戊辰戦争に参戦していた桂太郎(萩出身の内閣総理大臣)の墓所があり、これは桂太郎が遺言で崇拝していた松陰神社の隣地に葬って欲しいと遺言したために、此処にあります。

大戦で実装されたら桂太郎→吉田松陰の特殊開幕台詞がある気がする。


お次は港区の乃木神社内にある正松神社です。



最寄り駅は東京メトロ千代田線、乃木坂駅。

……なんですが、私は此処に行く前に靖国神社に行っていたため、違う駅から歩きました。

乃木希典という明治天皇に殉死した陸軍軍人を御祭神としている神社ですが、この敷地の一角には摂社の正松神社があります。
乃木坂の『乃木』はこの乃木希典の名字から来ています(乃木坂になる前は幽霊坂と呼ばれていました)。

乃木希典は松下村塾の創立者である玉木文之進(松陰先生の叔父様)と、文之進から教えを受けた兄弟子である吉田松陰を崇拝していました。
その深い縁があって、戦後の昭和三十八年一月二十二日に乃木神社を復興する際に萩の松陰神社から分霊し、摂社としてここに二人を御祭神とした神社が立てられました。



上記したように、御祭神は玉木文之進正韞命、吉田矩方松陰命。
摂社の為、こぢんまりした神社ではありますが学問の神様として多くの人が訪れていました。

私も先生たちに勉強もっと頑張りますって言ってきました。歴オタとして生涯勉強ですね。



全体的に綺麗な神社です。
この神社の隣は乃木希典の屋敷の跡で、旧宅が残ってる乃木公園があります。
この公園面白いよ!!なんかイイ感じの雰囲気があって!

この神社の存在はたまたま地図で長州藩史跡漁りをしていた時に知ったので、丁度英傑大戦のコラボカフェで出掛けるついでに行ってきました。
知らないことはまだまだ沢山ありますね。



最後は靖国神社へ参りましょう。


最寄りは千代田区九段下駅。大村益次郎の像で有名ですね!!
此処に益次郎の像があるのは、益次郎が靖国神社の前身である東京招魂社の鎮座地の選定に関わったからです。




(大村益次郎の生誕地を扱った『ぴよ幕末史跡旅in長州~周防高森・四辻~』っていうレポも書いてるので良ければ……)

靖国神社は明治二年六月二十九日に創建され、明治維新~第二次世界大戦の折に命を落とした246万6千余柱の御霊を祀っています。



私が行った時は丁度桜の時期で人がいっぱいでした。



靖国神社の敷地内には安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変で亡くなった志士たちを祀る目的で、津和野藩の福羽美静が建てた招魂社があります。
元々京都にあり、福羽家からの寄進で今は靖国神社の元宮としてここにあります。





昔は目の前でお参りが出来たようですが、かつて放火事件があったとの事で現在は防犯上一般の参詣は出来ません。
横からお社だけは見えるのでそこからお参りしてきました。

此処にある遊就館という資料館では靖国神社にお祀りされている方たちの歴史が学べます。私自身が戦時の話があまり得意ではないため入ったことは無いです……。



また長くなってしまいましたが、以上江戸にある松陰先生関連神社旅でした!!
良き大戦ライフ、あわよくば良き史跡旅ライフを!
更新日時:2023/09/28 23:15
(作成日時:2023/07/11 01:47)
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