から脱退します。
よろしいですか?
:お久しぶり・・・英傑大戦日記、十月二十二日の章、始まりだよ。
:それじゃあ今回の聞き手を紹介するよ。今回はこの人。
:なんか初めてだな、この感覚・・・あー、元日本陸軍一等兵、今は北海道で金塊探してる杉元佐一ってもんだ。
:無二にもよくわかってない・・・でも、その考えでいいと思う。
:そ、そうか・・・しかしあんた、背格好といいアシリパさんみてぇな女だな。年いくつなんだ?
:・・・女の子にそれ言ったら、撃ってもいいって孫市が言ってた(ジャキッ)
:あぁそりゃすまねぇ、だからその獲物を降ろしてくれないか・・・?
:それじゃあ最初の話いくよ。「群雄伝を語る」今回は織田信長伝第一章「信長という男」を語ろうと思うよ。
:織田信長といやぁ俺の時代で知らない奴はいないほどの有名人だな。今回は信長の物語ってわけか。
:うん。遡ること1534年、織田信長という人物は尾張守護代の家臣・織田信秀の嫡男として生まれた。
:信長の親父さんは尾張の守護代の家臣だったのか。
:織田信秀の家は通称「弾正忠家」って呼ばれてて、もともと清州織田家に仕える別系統の織田家だったの。
:戦国の世だからこその下剋上がまかり通る時代か。俺ぁそんな時代に生まれたくはなかったね。
:信長は父や教育役だった平手政秀から英才教育を受け育った・・・だけど、成長していくにつれて次第に奇妙な行動をとり始めるようになった。
:俺らの時代じゃ有名な話だな。「信長は幼少期、とんでもないうつけ者だった」って。
:信長は元服前に父・信秀から那古野城を譲渡され、城主としても活動していたそうだよ。そして1546年、元服を果たし「三郎信長」を名乗るんだ。
:いつもながら思うが、そんな若い頃にもう人殺しの戦場に立つってのが武士の習いってやつなのか。
:この時信長と共に戦場に出ていたのは、信長の弟・織田信勝に仕えていた佐久間信盛と、斯波家に仕えていた太田又吉という元僧侶。
:おぉ、この頃からそいつらは信長と関りがあったんだな。
:信長はこの戦をただの初陣とは見ておらず、今の自分の評価を見ようとしていた。
:なるほどなぁ、信長がどういう人間なのかはまだ分からねぇが、戦をどんな形で見ているかまでは考えなかったぜ。
:次は今回仲間に入ってくれた人の紹介。今回は大勢の人が仲間になってくれたよ。
:数だけでもすごいが、質も上々だな。えーっと・・・織田信長に魏延に・・・大村益次郎!?
:・・・別に気にしなくていいんじゃない?投稿主、機会あれば杉元さんも使いたいって言ってたし・・・
:今日はここまで。相変わらずの日記だったけど、どうだったかな。
お帰りなさい!
この投稿の感じ久々ですな。
次回も楽しみにしています。
楊狐さん <<<
コメントありがとうございます!
間隔が空いてすみませんorz まだまだこんな感じになると思うので、気長に見ていただけるとありがたいです!