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小戦友(「馬」関連必須)に参加

by
ぶりんこ
ぶりんこ
小さんのアイコンが、ウマ娘の『エルコンドルパサー』なので、戦友イベントのルールは武将名、計略名に「馬」の文字が入った武将を1枚、デッキに入れる。


三国志大戦時代に「競馬」関係でいくつかデッキを作って戦友イベントに参加した事があったので、それをそのまま武将だけ変えて今回の戦友イベに参加しました。
↓以下のデッキ説明文、コンセプトは桃園の投稿をそのままコピペ(どうせ3月には消えちゃう投稿なので、まぁいいかと)



以下、使ったデッキ



【父子三代 デッキ】



競馬で「天皇賞(昭和45年)G1」を勝った『メジロアサマ』という競走馬がいた。
引退後、種牡馬「父親として牝馬(メス)に種付けをする種馬」となったが、1年目に28頭の牝馬と交配したが1頭も受胎しなかった。

その為、関係者からは「種なしスイカ」と馬鹿にされ、種牡馬としては失格の烙印を押された。

2年目は自社牧場内で10頭と交配、ダメ元で「アラブ種(サラブレットでは無い品種)」の馬とも交配した所、そのアラブ馬からまさかの1頭が受胎、出産した。


それがきっかけなのか、翌年からは年に1~3頭と少ないながらも子供が生まれる。

その子供の中から自身と同じ「天皇賞」を勝つ『メジロティターン』という馬も生まれた。

メジロティターンも引退後に種牡馬となり、その子供の中から『メジロマックイーン』が生まれ、なんと、マックイーンも天皇賞を勝ったのだ。



メジロアサマが生涯に残した子はたったの19頭で、種牡馬としてはものすごく少ない。
そんな中から、競馬史唯一の「父子三代天皇賞制覇」を成し遂げたのだ。

そして現在もメジロアサマの血は『オルフェーヴル』や『ゴールドシップ』に受け継がれ未来に残るのであった。


デッキ的にはただの馬家父子三代&妹(馬雲騄)の旦那



ちなみに余談だが、僕も妻も晩婚であり、妻は「子宮筋腫」の病気を患い手術したり、僕も泌尿器科で精子検査をしたりもしたが、一人目の子供は出来るのに時間が掛かった。

数年後、「二人目を作るか」と妊活した所、

「中だし2回」

で、あっさり次男坊は誕生したww
一人目の苦労は何だったのだろうか?(出来る時は簡単に出来るものだ…)






【酷使無双 デッキ】



競馬史上、最高のアイドルホースは「オグリキャップ」だと語る人は多い。

オグリキャップは「血統は三流、地方競馬出身」でありながら、中央競馬のエリートたちを次々と倒していった。
生涯成績は32戦22勝、うち重賞17勝(G1を4勝)も勝ったのだ。


とにかくその人気は凄まじく、マスコミにも過剰に報道された(1988年、当時小学生だった僕でもオグリは知っていたほど)

今まで競馬を知らなかった女性ファンが、オグリのぬいぐるみ人形を持って競馬場に足を運んだほどで

「なんでオグリは毎週、走ってくれないの?」

って言う、とんでもない発言も聞かれるほどの大ブームを起こした。



そんなオグリキャップの人気の一つは「過酷なローテーション」を乗り越えた事だった。

先の女性ファンの発言はあながち間違いではなく、普通の馬なら有りえないほどの間隔で、オグリは過酷にレースを走らされた。

2歳(当時は3歳表記)で、すでに11戦もレースを走っており、
中央に移籍後、特に4歳の時には

「3か月半の間に重賞を6レース(G1を4戦)出走」

という、俗に言う「酷使無双」状態であった。


しかし、5歳後半には疲労からか不振が続き「もうオグリは終わった」とも言われた。
まぁ、最後にとんでもない奇跡を起こしたのもオグリキャップの伝説なのだが…。


デッキ的には回復の舞を使ったらもう自城には戻らない、戦い続けます!っていう、国士無双&春秋戦国の面々。





現在、オグリキャップを主役としたアニメが放送されております(TBS系日曜16時30分)
今まで「ウマ娘」とは無縁だった僕もこの作品は絶賛応援しております!(岐阜県民なのでw)



アニメ『ウマ娘 シンデレラグレイ』第2クールノンテロップOP映像|10-FEET「スパートシンドローマー」






【ウォーエンブレム デッキ】



競馬の種牡馬(メスに種付けをするオス馬)でアメリカからやってきた『ウォーエンブレム』(1999年~)という馬がいた。

だが、ウォーエンブレムは種付けを試みるも、ほとんどのメス馬に興味を示さなかった。
しかし、全く興味が無い訳では無く、一部の馬とは交配をする事が分かった。

何が違うのか試行錯誤したところ、ウォーエンブレムは「小柄な栗毛」のメスなら興味を示す様だった。


「小柄な栗毛」を人間で例えれば『金髪のロリ少女』である。


そうと分かれば後は簡単である、最初に金髪ロリのメス馬をあてがって、ウォーエンブレムが興奮したらマスクを被して、本来の目的の別のメス馬と入れ替えるのである。
こうして1年目にはたった7頭だった種付けは2年目(2004年)には50頭近くまで成功したのである。



しかし、事件は起こった。

パコパコしている最中にマスクが外れてしまったのである。

「えっ!?相手、違うやん!ババアやん!」

ついにウォーエンブレムはいつも騙されていた事に気づいてしまったのである。

このショックからトラウマとなり、ウォーエンブレムの種付けはまた激減し、2005年は9頭、2006年は1頭、2007年はゼロという悲しい結末となったのである...。



考えてみてほしい、もし、あなたが風俗で「目隠しプレイ」をしていて、ふと目隠しを外したら相手のお姉さんがお婆さんに代わっていたら...、ヒィィーッ!!

まぁ、種牡馬って本来は自分の祖母くらいの年齢の馬とも交配するのは当たり前なので、実は大変なのであろうとは思う。


※一部、脚色して書いてある部分がありますが、大体はホントの話でございます。


デッキ的には龍馬 with パツキン(はちきん)ガールズ






【ウォーエンブレムその後 デッキ】



2008年、ウォーエンブレムはアメリカの博士による治療を受ける事になった。

どうも原因はメンタル面であり分析した所、メス馬に「他のオス馬の気配や臭い」が少しでもあるとビビッてしまうとの事だった。
他の男のもの(女)だと感じると遠慮して身を引いてしまうのだ。


人間も女性に慣れてない、自信が無い男は「ロリ」に行きやすいという説がある。
僕もそのタイプだったので、おニャン子で言えば『岩井由紀子』、モー娘。で言えば『矢口真里』や『加護亜依』が好きであった。


話を戻そう。

原因が分かれば後は簡単である、ウォーエンブレムの周りから全てのオス馬を排除したのである、そう、自身以外は全てメスのハーレム状態。


結果、2008年は39頭、2009年には69頭もの種付けに成功したのだった。

...が、悲しいかなハーレムに慣れてしまったからなのか、翌年からの種付け数は激減していき、2015年で種牡馬生活は終了したのだった。


2016年、たっぷりセクロスも出来たし、故郷のアメリカに帰る事になった。

が、感染病の検査の為にアメリカでは一度、種付けをしなければいけないのだが、ウォーエンブレムは「もうセクロスはいいや...」と拒否した為、金玉を切られて去勢されてしまったのである...。

そして2020年、日本競馬界に種牡馬として偉大な功績と性癖伝説を残し、21歳で死去。



なお、ウォーエンブレムの子供たちは大変、優秀で「G1」を勝った馬もいる。
その中の一頭『オールブラッシュ』も種牡馬となったのだが、

彼は「芦毛のメス馬の尿(オシッコ)の臭いでしか興奮しない」という特殊な性癖を受け継いだのだが、それはまた別の機会に...。


※一部、脚色して書いてある部分がありますが、大体はホントの話でございます。


デッキ的には元祖「セクロス拒否男児(ガチホモ勢)」の家光 with 大奥ハーレムズ。
士気流派からの「大奥出陣!×2→家光フルコン(総士気14)」の一発逆転狙い。



結果


いかがだったでしょう?僕の競馬コラムこじつけデッキ(全然、英傑の話書いてねぇじゃねぇか

僕は2011年~2018年頃のセガのメダル競馬ゲー『スターホース3』に当時かなりハマっており、酷い時にはゲーセンの開店から閉店間際まで、ずっとゲームし続けた「スタホ廃人」だった時期がありました。

競馬中継番組「競馬ビート」も毎週、観ておりました。


一番好きだった馬は、短距離ダートで活躍した『スー二』

G1級を3勝もしたのに種牡馬にしなかった馬主には恨み節。
『ラブミーチャン』との間に出来た子供が見たかった…。


現在の競馬はほとんど分かりません、たまにビッグレースを観たり、地方競馬に行ってまったりする位のレベル。


主催のさくまさん、小さん、マッチした皆様、ありがとうございました。
作成日時:2025/12/07 17:07
コメント( 5 )
5件のコメントを全て表示する
劉龍華
劉龍華
12時間前

対戦ありがとうございました。
槍3人の圧がすごかったです_(:3 」∠)_

月寒公園
月寒公園
12時間前

お疲れ様でしたー。まさかの初戦で当たるとは。
春日局に落雷と弱体計もあって困りました。
又、お手合わせお願いします🙏

さくま
文士
文士
さくま
8時間前

参加とマッチありがとうございました♪
一度読んだ内容なのにまた笑ってしまいました(笑)

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